いつからか分からないけど、兄が仕事に行けなくなっていたらしい。
不眠が続いていて、毎晩浴びるようにお酒を飲み続け、夜中に大声出して暴れたりするらしい。

「もう手におえないので、引き取って欲しい」
「とりあえず、来て様子を見て欲しい」

私は父と兄の家に行った。

兄は、痩せて、タバコを吸う姿が、手が震え、顔も震えている。
無理して平気そうな顔してるけど、兄嫁が「これ見て」って、
ピルケースに入った大量の薬を出してきた。

最初は、体調を崩して、口の中が切れて喋れないとか、
食事が摂れないとかっていう話は聞いてたけど、
いろんな検査を経て、最終的に精神科に回されたらしい。


でも、兄は自分が鬱病であることを認めたがらない。
睡眠薬も処方されていたが、指示通りに薬を飲まず、
朝から番までお酒、お酒・・・。


私は、自分の知る限りの薬を見て、
寝る前に飲む薬を選んで、飲むように話した。

だけど、兄は「妹は医者じゃない!何がわかるんだ!」と言い、
その後も荒れた生活をしていたようだ。


兄を引き取ると言っても、私は高校生の娘を抱えながら、
毎日の生活を送るのが精一杯。
父は、心臓血管の爆彈を抱えていて、それだっていつどうなるかわからない状態。


兄を養う能力はどこにもない。


度々、兄嫁から電話が来ては、「どうにかしてちょうだい!家族でしょ?」と詰め寄られた。


そんなことがあってから、1年位経った頃・・・。
更新が久しぶりになった。

正確な時期は覚えてないけど、何年前だろう。


私は退院後、父親とは顔を合わせないように、静かに過ごしていた。
次女の高校生活とアルバイトの合間に体を横にして過ごす毎日。

お弁当は作り続けた。
夕飯も作った。
それは、私のせめてもの使命だと思ってたたから。

次女が高校2年生になって間もなく、入院して、3週間。
淋しい思いをさせた。

長女も、父の家に残り、ひとりで頑張って生活していた。

そんなころ、飛び込んできた父の体の異変。

休日にひとりで好きなパチンコをやっていたらしい。
その最中、胸を鉄板で叩かれたような強い衝撃を受けて、倒れてしまったと。

休憩用のベンチで休んでいたら落ち着いたので、帰宅してから
かかりつけの病院に行ったら、大きな病院を紹介されて、
心臓のCTを撮った。


病名:心臓大動脈解離。

本当なら、即死だったはずだと。

その後、心臓血管の専門医の病院に移り、
月に1度、血管の造影検査を行った。

普通の人は、大動脈は直径3センチ程度らしいが、
父の場合、解離(裂けた)血管の中に血流が溜まり、5センチを超えていた。

本当なら、即手術。
だけど、医者は強くは勧めてこなかった。

高齢であることと、手術のリスクが高いことで、
手術を受けるかどうかは、本人の意思に任された。

父は、「血管裂けて、そのまま即死なら、それでいい」って手術を拒んだ。


いつどうなるかわからない爆彈抱えての生活。

そんな大きな病気になったのに、私は父を愛せなかった。

親孝行も、今のうちと思ったけど、それよりなんだか苦しかった。


「何が起きるか分からないから、車に乗るな」って言ってたのに、
言うこと聞かない。
まさか、運転中に発作起こしたら、人様を巻き添えにしてしまうかもしれない。
だから兄と説得したのに、言うこと聞かない。


もう、知らん!