拝啓、100歳の私へ

拝啓、100歳の私へ

目標は100歳まで長生きすること!
ただし、出来るだけ元気な姿でね。

介護、家族、仕事、好きな事、
ボチボチブログに綴って行きます。

8月30日に9月いっぱいで退職したいと、社長に申し出た。

基本、“去る者は追わず”の職場だから、直ぐにOKをもらえた。

仕事中に突然思い立ち、その3日後には伝えた。

4年4ヶ月という長いようで短い職場だったかな。


理由は色々あるのだけど、一番の決め手は

「今こそ、自分のために時間を使いたい」だ。

今まで両親や夫の介護が中心で、

色んなことを我慢して毎日を送ってきたと思う。

不器用な人間だから、一度にあれもこれもとは行かないし、体力には自信があるが、気力が伴わなくなってきた。

1日のうち通勤時間も含めると9時間近くが拘束される。

今の時期は昼間の農作業だけで疲労困憊し、

おまけに帰宅途中で買い物したくても、

汗まみれ泥まみれの姿では田舎のスーパーでも入りずらい。

一旦帰宅すると、もうそれ以上は動けなくなり、

冷蔵庫にあるもので適当な晩ご飯になる。


そんな生活を送っていたら、自分が悲しくなった。

何のために働いているのかも分からなくなった。


そしてついに、

「もういいや、もっと自分を大事にしよう!」

「ずっと欲しかった自分の時間を満喫しよう!」


という結論に至った。


母親が施設に入っていて、今のところは本人の年金と預貯金で介護費を賄っているが、

それも後数年で底をつく。

これまで働いてきた私のお給料は、その後を援助するために貯めてきたものだ。

とりあえずは、それがあればまた暫くは大丈夫だろう。


自分の生活は年金と預貯金で身の丈にあった慎ましい生活をすれば、仕事をしなくてもなんとかやれそうだ。

思った以上に母が長生きするなら、またその時に考えよう。


来月から始まる私の新たな毎日は、

一体どんなふうになるだろう?


"やりたい事リスト"を考えるのが今は一番楽しい照れ





夫の初盆を迎えた。

11日に住職に来ていただいて、

家族だけのこぢんまりとした供養をした。

我が家には仏壇があり、夫の母親と40年前に9歳で亡くなった前妻との息子の位牌がある。

前妻と別居中、連休を利用して息子に会いに行った際、家の前で出迎えていた息子が目の前で車に撥ねられて亡くなると言う悲劇があった。

自分で車に乗せて近くの病院に運んだが、

ほぼ即死に近い状態だったというから、

彼の悲しみは壮絶なものだったと思う。


自分によく似た、目の中に入れても痛くない息子と、

自分が30歳の時、60歳の若さで亡くなったシングルマザーの母親。

彼にとっては最も愛すべき人たちだ。

今はその人たちと空の上で再会を果たし、

穏やかに過ごせていると信じている。


しかしながら、何故か夫は彼らの供養というものを

積極的に行ってこなかった。

毎朝仏壇に手を合わせることもしなかったし、

法事もなし。

お骨は県外の母方のお墓に入っていて、いずれ近くに建立するつもり、と言っていたが、夫が生きている間は結局それもしなかった。


私自身も実家は分家ゆえに仏壇もなく、

朝夕の習慣もなかったから、夫と結婚してからも、

命日やお盆お彼岸に花を飾る程度しかしてこなかった。

なので、夫が亡くなってからが何かと大変だった。

宗派は教えてもらってたから、そちらに連絡して

通夜、葬儀を滞りなく済ませ、その後の法要、

そして初盆。

8月7日に、盂蘭盆会施餓鬼大法要なる案内が

来たので、夫、義母、義子、先祖の供養をお願いすることにした。

私の立場としてやるべき事をやったと思うので、

ひとまず安心。


ただ、最後にひとつ大きな問題がまだ残っていて、

お墓をどうするか、、、。

夫の遺骨は、まだどこにも納めていないのである。


年明けには一周忌を予定しているが、

それまでには解決せねばと思っているのだが、

果たしてどうなるか。


今日、7月16日は私の誕生日。

63歳になった。

元気に歳を重ねられたのはとてもありがたい事だと思う。

独り身になったからなのか分からないが、

心も身体も調子がいい。

自分の時間もそれなりに前向きに消化できるようになった。

今日は年金の手続きに必要な書類を揃えた。

63歳になったら、「特別支給の年金」が受け取れることになっていたが、先に夫の遺族年金が降りることになったからそちらが優先になってしまった。

65歳になった時に、改めて手続きをしないで済むように、今のうちに書類を提出することを勧められていた。


夫の遺族年金は企業年金もあるから、

びっくりするほど多くはないが、少ない方でもない。

私自身のパート収入も加えると十分に生活できる。

更に、相続の手続きの真っ最中なのだが、

無事に終われば、働くことすらしなくても済むくらいに、老後は安泰になる。

夫にはただただ感謝だ。


持病もあるし、先のことは分からないが、

私はもう少しこの世で生きていたい。

大事に使わせてもらいますね。




2026年が始まってからもう5ヶ月が過ぎて、

明日からは6月だ。そして7月にはまたひとつ歳をとる。


還暦を過ぎたら時間が過ぎるのが本当に早く感じる。

うかうかしてはいられない気持ちが強くなって、

何かに追われてる感情が常にある。

仕事が休みの今日であっても、「のんびりしてられない!」と落ち着かない気持ち。


でも実際は具体的には何にも追われていない。


母を施設に入居させたのは去年の秋。

そして7年余りの入院生活を送った夫は1月20日に亡くなった。


10年に及ぶ両親と夫の介護の日々は、

パートとはいえ仕事をしながらなので、かなり大変だったのは間違いない。

でもそれが、自分のすべき優先順位だと信じ、お金も時間も自分にかけることなく突き進んで来た。


だが、人生はそれなりに変化していく。

ようやく神様が時間とお金をくれた。

「これからはおまえの好きに生きろ」と。


そう、だから好きに生きたいと強く思う。



思うけど、実はどう動けばいいのか分からない。


去年、思いがけない病気が見つかって、脳出血による突然死も覚悟せねばならず、自分の寿命がそう長くないかもしれないと思った時は、もっと自分のために時間を使いたいと、強く思った。

だから職場に相談し出勤日数を月半分にしてもらい、

自分の時間を作ることに成功した。

ホッとした。


更に、母は施設に空きができたと言われ即入居。

二年待機したから兄弟からも異論は無かった。


そして、夫も転院後ひと月もせず亡くなった。


そんなこんなで、慌ただしく時は流れ、

五月晴れの今日一日を、誰に文句を言われることなくダラダラと過ごした。

これでいいのだ。


そう、これでいいはず。

私が望んだ自由な時間だ。


なのに、うまく説明できないけど、変な罪悪感。

ぼんやり朝の紅茶を飲みながらでも微かに感じる焦燥感。


長年の習慣はそう簡単に私を解放してくれず、

何かしら動いていないと落ち着かない。


でもまぁ、それも暫くはしょうがないよね。

人間そう簡単に変われるもんじゃなし。


時間の流れに身を任せて、焦らずのんびりやっていこうおねがい








「脳動静脈奇形」


ドクターはその病気の可能性が高いので、

大きい病院で診てもらった方がいいと言った。

画像には、糸くずが絡まった様なモノが映っていた。

先天性の疾患で、若い世代では突然脳出血を起こした場合、これが原因である事が多いのだとか。

脳出血だから、命に関わる怖い病気で、発症は約10万人に1人の割合とかなりまれらしい。


次に行く病院の予約を取ってもらい、紹介状をもらって帰宅。

早速、その病気について色々調べまくった。


すぐ目についた記事は、このアメブロのオフィシャルブロガーでタレントで俳優の間瀬翔太さん。

2019年に間瀬さんがその病気で倒れ、その事について赤裸々に書いていた。

間瀬さんは今もその病気の後遺症と闘いながら、

芸能活動を続けておられる。


間瀬さんは頭に抱えた爆弾が破裂して、その後の人生が大きく変化していった。


私は同じ爆弾を未破裂で抱えた状態にある。


なんとなく、人生の終わりが見えて来たような気がする。