拝啓、100歳の私へ

拝啓、100歳の私へ

目標は100歳まで長生きすること!
ただし、出来るだけ元気な姿でね。

介護、家族、仕事、好きな事、
ボチボチブログに綴って行きます。

2026年が始まってからもう5ヶ月が過ぎて、

明日からは6月だ。そして7月にはまたひとつ歳をとる。


還暦を過ぎたら時間が過ぎるのが本当に早く感じる。

うかうかしてはいられない気持ちが強くなって、

何かに追われてる感情が常にある。

仕事が休みの今日であっても、「のんびりしてられない!」と落ち着かない気持ち。


でも実際は具体的には何にも追われていない。


母を施設に入居させたのは去年の秋。

そして7年余りの入院生活を送った夫は1月20日に亡くなった。


10年に及ぶ両親と夫の介護の日々は、

パートとはいえ仕事をしながらなので、かなり大変だったのは間違いない。

でもそれが、自分のすべき優先順位だと信じ、お金も時間も自分にかけることなく突き進んで来た。


だが、人生はそれなりに変化していく。

ようやく神様が時間とお金をくれた。

「これからはおまえの好きに生きろ」と。


そう、だから好きに生きたいと強く思う。



思うけど、実はどう動けばいいのか分からない。


去年、思いがけない病気が見つかって、脳出血による突然死も覚悟せねばならず、自分の寿命がそう長くないかもしれないと思った時は、もっと自分のために時間を使いたいと、強く思った。

だから職場に相談し出勤日数を月半分にしてもらい、

自分の時間を作ることに成功した。

ホッとした。


更に、母は施設に空きができたと言われ即入居。

二年待機したから兄弟からも異論は無かった。


そして、夫も転院後ひと月もせず亡くなった。


そんなこんなで、慌ただしく時は流れ、

五月晴れの今日一日を、誰に文句を言われることなくダラダラと過ごした。

これでいいのだ。


そう、これでいいはず。

私が望んだ自由な時間だ。


なのに、うまく説明できないけど、変な罪悪感。

ぼんやり朝の紅茶を飲みながらでも微かに感じる焦燥感。


長年の習慣はそう簡単に私を解放してくれず、

何かしら動いていないと落ち着かない。


でもまぁ、それも暫くはしょうがないよね。

人間そう簡単に変われるもんじゃなし。


時間の流れに身を任せて、焦らずのんびりやっていこうおねがい








「脳動静脈奇形」


ドクターはその病気の可能性が高いので、

大きい病院で診てもらった方がいいと言った。

画像には、糸くずが絡まった様なモノが映っていた。

先天性の疾患で、若い世代では突然脳出血を起こした場合、これが原因である事が多いのだとか。

脳出血だから、命に関わる怖い病気で、発症は約10万人に1人の割合とかなりまれらしい。


次に行く病院の予約を取ってもらい、紹介状をもらって帰宅。

早速、その病気について色々調べまくった。


すぐ目についた記事は、このアメブロのオフィシャルブロガーでタレントで俳優の間瀬翔太さん。

2019年に間瀬さんがその病気で倒れ、その事について赤裸々に書いていた。

間瀬さんは今もその病気の後遺症と闘いながら、

芸能活動を続けておられる。


間瀬さんは頭に抱えた爆弾が破裂して、その後の人生が大きく変化していった。


私は同じ爆弾を未破裂で抱えた状態にある。


なんとなく、人生の終わりが見えて来たような気がする。


まさか自分がそんな病気になってしまうとは、、、


6月6日に2年ぶりに健康診断を受けた。

自費でマンモグラフィーと骨密度測定もやった。

数日後には長年気になっていた頭痛の原因を知りたくて脳神経外科も受診した。


私はいわゆる頭痛持ちではなかったが、年に一度か二度程度、瞬間的にハンマーで殴られたような痛みを覚えることがあった。

それはほんの一瞬の出来事で、思わずうずくまってしまうのだが、数秒経つと何事も無かったように痛みは消える。

痛かった瞬間はどんな姿勢だったかと考えても、

上手く説明出来ないくらい、あっという間の症状なのだ。

だから、そんな痛みがごくたま〜にあっても、その後はピンピンしてるから、病院を行く気も起きなかった。


でも今回の健康診断をきっかけに、やっぱり一度はちゃんと診てもらおうと、思い切って受診した。

初めての脳神経外科だったし、一応気になる痛みだったので、一抹の不安はあった。


CTとレントゲンを撮った結果、原因が分かった。

首の頸椎の直ぐそばの脊髄に少し変形があって、

何かの拍子に痛みが走ることらしい。

でもそれは歳をとると起こりやすく、特に治療をする必要はないとのこと。


それを聞いて心底ホッとしたのだが、

ドクターは「それは特に問題ないと思われますが、

実はこちらの方がちょっと気になります」と、

CTの画像を指した。






今日、7月16日は私の誕生日でめでたく62歳になった爆笑

色々と思うとこがあって手放しでは喜べないのだけど、無事に誕生日が迎えられたのはありがたい事だと思う。


昨夜は仕事の疲れから夕食後に寝落ちしてしまって、

目が覚めた時は三時前だった。

睡眠時間は五時間は取れてるからそのまま起きる事に。

テレビをつけたり、ラジオ深夜便を聴いたり、日記を書いたり、スマホを開いたり。

一人静かな時間をコーヒーを飲みながらのんびり過ごす。

さて、今日は何して過ごそうかな?

今日明日と仕事は休み。貴重な二連休だ。

無駄なく過ごさねば‼️

随分と長い間ブログを放置してしまった。

優先順位からすると後回しになるのは仕方ない。

でも記録媒体として考えるとブログの記事も役にたっていて、日記がわりにもなるし、写真も残せる。

スマホに日記のアプリを入れて日々写真付きで書いているが、自分のブログは生々しい日記と違って、

どこか楽しんでる記事が多いような気がする。

読み返してみると結構楽しいので。


で、六年前の記事を見ると夫の事故に辿り着く。

そう、大怪我で倒れてから丸っと六年経った。

そして四日前、夫は六年ぶりに自宅に帰ってきた。

と言っても一時間にも満たない外出だったのだけど。


夫を介護するために作った部屋もスロープ付きのウッドデッキもやっと日の目を見た。


私は緊張のしっぱなしだったけど、二人の看護師さんは楽しそうに夫に話しかけ車椅子を押してくれた。

ウッドデッキから入る新しい部屋はもちろん見覚えはないだろうけど、そこから続くリビングは内装こそ新しくなったが昔のまんま。

長い寝たきり生活から一転、車に揺られ久しぶりの我が家に帰れて感動してるかなぁと顔を覗き込んだが、残念な事に表情は真逆だった。


眉間の皺はさらに深く、目は薄く開かれどこか睨んでるようにも見えた。

言葉も発せられないからどう思ってるかも聞けない。

ただ今の状況を喜んでいるようには見えなかったのが非常に哀しかった。

これからこの外出がたびたび計画されるのが予想される。

春に病院側から外出の提案がなされて、それに向けて色々と介護の手ほどきを受けてきた。

オムツ交換や清拭、胃瘻からの栄養注入などなど。

退院し在宅介護を前提にしてる事は何となく読めるのだけど、退院を勧められてるわけではない。

でも、病院側は出て行って欲しいのだろうな。

それは分かるけど、現状はとても難しい。

ハッキリと無理ですと言いたいのだが、、




これからまたブログを少しずつでも書いていこう。

備忘録のつもりで始めたブログだけど、どこか客観的に楽しめるところが気に入ってるし、まだまだ人生は続くはずなので後期高齢者になった時に読み返すのも楽しいだろう。

と、61歳3ヶ月の私は思う。