私の実家には、母と妹・弟の3人の宇宙人(=精神病患者)がいる
その中で妹だけは例外なのだが
ほかの二人は電話が大好きなようだ
妄想が暴走して
とんでもないところへ、次から次へと電話する
その妄想のほとんどが
被害妄想で自分が物凄く虐げられていると感じるようだ
季節の変わり目は特に精神が不安定になりやすく
決まってその兆候が現れる
前回は母の事を中心に書いたが 今度は弟の事を書いてみたいと思う
あるブロ友の方が 障害者の施設でお仕事されていて
自分の思いが遂げられないと 役所へ電話したという話を書いていた
そういう人達は何故か お役所関係がとても好きらしい
弟の方は自分の立場の不安や不満を
警察署や県知事に訴えるべく電話する
警察では要注意人物とされているらしく
適当に相手はしてくれるものの
体裁よくはぐらかされている
県庁へ電話した時も、セキュリティが万全なので
一般市民からの電話など県知事へ繋いでくれようもないので安心だ
ただ電話を思うように取り次いで貰えないので
今度は県知事宛に手紙を書きまくっている
一応高卒なのだが 一流企業の『TOSHIBA』へ就職出来たくらいだから
なまじっかのバカでないために
理屈っぽく余計に厄介なのだ
精神が不安定になると
決まって私のところへ電話をよこす
それが、また途轍もなく長電話なのだ
時間も都合も関係なく掛けて来るので
こっちの体力まで奪われて行く
日増しに頻度がだんだん加速し 最後の方では毎日になり
最終的に一日の間に 数十回になってゆくのだ
現実と妄想の境が無くなり
支離滅裂な言動を繰り返す
現在はたまたま電話番号の変更をしたので
新しい電話番号を知らせていない
なんとか平和は守られている
そして、『ヤバいぞあいつ』と思っていると
強制入院の知らせが入る
強制入院とは精神病患者が
自傷他害の恐れがあると判断された時
県知事の職権で本人の意思とは関係なく強制的に
入院させる事が出来るものだ
彼は今までに片手じゃ足りないほど繰り返している
離れて住んでいる為
実際の状況が良く分からないので
日頃からいざと言う時のために実家の近所とはコミュニケーションを密にしてあった
早速、隣の家に連絡を取り色んな情報収集をする
父の危篤も隣の家の人が気を利かせて連絡をくれたので分かったが
さもなければ一切連絡が無かっただろうと思うと
本当に有り難い事だと思った
弟はおかしくなり始めると決まって
音楽のボリュームの摘みをMAXに捻り
大音量で24時間流し始めるらしい
それが始まりの合図だ
私の実家の家のつくりは下町情緒あふれる
長屋になっており 玄関から裏庭まで土間続きになっています
両隣とは裏庭が続いており 行き来が出来るようにもなっていました
私が実家にいた頃は
良く隣の”おばあさん”や”おばさん”が家を覗きに来てくれて
『今日の晩御飯は何だね 美味しそうな物を作ってるなぁ』とか
成人式や何かがあれば
朝から『○○○さんは どんな別嬪さんになったかな~』と
見に来てくれたりしていた
私が嫁いでからは
境目に柵を設けて
裏庭も玄関も昼間からずーっと鍵を掛けて暮らしていかなければ
落ち着いて生活できないようになってしまったようだ
大変な迷惑をかけてしまっていたが
実家に帰るとまずは、隣近所に顔を出し挨拶をして回った
みんなは私の事をとても目に掛けてくれてた
やはり昔からのご近所と言うものは大切にしておいて間違いない
父はこの宇宙人達の起こす騒動に
毎日振り回される日々に
次第に追い詰められて行ったのだろう
半ば自殺行為に近い状態で亡くなった
それは壮絶な死に方であった
その時の話は、長くなるので(っていつも長いが)また別の機会に書こう
父が危篤となり父に代わり
病気関連で弟の”後見人”になっている私は
強制入院をするたびに
いつ何時でも駆けつけなければならなくなる
入院の書類にサインをしたりしなければならないのだが
郵送では受け付けてくれないのだ
掛かり付けの医者に強制入院させられた場合はまだマシだった
一度 埼玉県鴻巣市の病院に強制入院されらた時は
父が生死の境を彷徨っている時と重なっており本当に大変だった
病院側から迎えに来いと連絡があり
今は誰も迎えにいける人がいないと
病院側に伝えると『じゃあご本人 一人だけで帰っていただくしかないですね』と言う
『えっ 自分で帰れるほどに回復してるんですか』と返すと
『いいえ でもお家の方が誰も迎えに来れないなら仕方が無いでしょう』
何と無責任なんだろう
入院させる時は強制的に退院させるくせに
回復してもいない人間を期間が来たから放り出す
まあ強制入院→強制退院 理屈には適っているのか
私は諦めたく無かった
この負のスパイラルな状況を何とかしてみせると心に誓った
様々な精神病に関する本を読みあさった
母や弟がお世話になっている病院にも何度も足を運び
保健所(精神病患者のサポートは保健所の扱いになっている)
役所関係にも小まめに通った
精神病というと昔に比べれば随分とオープンになったとはいえ
通常の病気と違い まだまだ閉鎖的で 社会的偏見も根強い
情報もとても入手しにくいのである
まずは父の入院中(名古屋の日本赤十字病院)に
看病をしながら 情報収集と母親や弟・妹のしでかした尻拭いと
今後の対策の為の手立てを取るべく ほとんど寝ずの状態で
駆けずり回り 集めた情報を夜の簡易ベッドの中で目を通しまとめた
その頃から高血圧の兆候があった私
極度の睡眠不足と疲労で 意識が朦朧とし心臓の動悸が尋常でなかった
ろれつも回らなくなり 『こりゃいかん』と医者に行き
点滴を打ってもらいながら それでもじっとしている事が出来ないので
フラフラになりながら 駆けずり回っていた
実家は三人のお陰で
誰もが足を踏み入れる事も躊躇するほど
荒れ放題であったため
何かあると 父の姉である伯母の家にお世話になった
私のそんな姿を間近で見ていた伯母は
『そんなに迄してやらなきゃいけないのか・・・
私達じゃ歳だし何にもしてやれない 申し訳ない』
と涙ぐみながらハラハラしながらも見守ってくれた
病院関連の施設情報は 病院に聞くのが間違いないと思い
父の入院先である日赤のケースワーカーに相談を持ちかけた
初め胡散臭そうに見られ
椅子の座り方も仰け反り気味に座っていたが
私の話を聞くにしたがって
ケースワーカーの椅子の座り方に明らかに変化が起こった
いつしか前のめりに身を乗り出し
最後には資料のコピーまで取って手渡してくれ
『何かあったら また相談に乗るから』とまで言ってくれた
場数を踏むうちに相手の態度の変化が
不思議と読めるようになった私は『してやったり』と思った
人間とはおもしろいものだ
それからも家族構築の道への
私の紛争はまだまだ続くのだが
続きはいつになるかはだけど またの機会に