おしゃれな大人の湘南ライフをお届け・

逗子で一軒家サロンでのんびりエステの

榊原恭子(さかきばらきょうこ)です。

 

 

サロンのある逗子は、

海と山があって

自分のペースで暮らしたい人が

集まる街です。

 

 

ここで、毎日をていねいに

暮らしていきたいと思っています。

このブログで

逗子ぐらしやサロンの様子、

思いなどをお届けします。

 

 

今はサロンと在宅事務ワークのWお仕事

高校生・中学生のママ+両親の介護中です。

 

 

年齢や時間を言い訳に

やりたいことをあきらめないで、

毎日を楽しく過ごすことに

チャレンジ中です!

 

 

 

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ブログご訪問ありがとうございます。

 

 

今日は、私の人生ターニングポイント、

アメリカ生活のお話の続き④です。

アメリカ生活のスタートのお話①はこちら

 

 

今から20年ほど前、

1995年から2000年の間

私は旦那さんと

アメリカのシカゴで滞在していました。

 

目標とする永住権取得まで、

日本からの貯金を取り崩しながらの

生活とはいかないので、

私は仕事探しです。

 

 

何となくイメージで

あまり気が進まなかったのですが、

私は、郊外の日本食レストランで

ウエイトレスとして働く事にしました。

 

 

英語やアメリカでの職歴、

そして何と言ってもビザの問題があって

私には仕事の選択肢がそれほどなかったのです。

 

 

日本食レストランの仕事は分業で、

そして多国籍でした。

ウエイトレスは日本人の他

韓国人が多く、

日本人の板前さんが4人、

他には中国人やメキシコ人。

 

 

「バスボーイ」は

お皿を片付ける係(メキシコ人)、

ウエイトレスのアシスタント(インドネシア人)という

仕事もありました。

それぞれ人の仕事には手を出しません。

自分の仕事テリトリーを守るのです。

 

 

日本人にとっては

そんなやり方が

けっこう冷たく感じて、

「助け合いの精神とかないの〜?」と

戸惑った気持ちになりました。

 

 

「何だかアメリカ社会の

縮図のようだな」と

その時感じたのを思い出しました。

 

 

国籍、文化の違いで、

みんなよく言い合いや、

意見のぶつけ合いをしていました。

 

 

それぞれが母国語でない

言葉なので

お互いがきつい表現だったり、

言葉が足りず

思わぬ誤解を招いて

嫌な思いをしました。

 

私も、言いたいことが伝わらなかったり

悪意があったか

なかったかは分かりませんが

心ないことを言われて涙することも

数知れずでした。

 

 

 

ウエイトレスの写真が

残っていなかったのです。
生のクリスマスツリーを

選んでいるところ。

12月の風物詩。

 

 精神的にタフさが

必要な仕事でしたが、

お金がまぁまぁ良かったので

なんとかがんばって

いました。

 

この我慢の先に

何か良い事が待ってるかも、

なんて根拠のない希望で。。

もう必死でした!

 

 

英語力が無いなりにも

注文を取ることができ、

アメリカ人のお客さんと

簡単な会話ができるようになって、

自分にやっと自信が

ついてきはじめたのも

この頃でした。

 

 

自分の力で(しかも外国で)

稼ぐことができて

そして日々の暮らしに余裕ができ始めて、

ほっとした2年目でした。

 

引き続き、

何とかなるさのアメリカ生活

は続きます。

 

 

最後までお付き合い

ありがとうございました。

 

 

2年目頃から日本から友人達が

よく遊びに来てくれて嬉しかったです。
日本語活字に飢えていたので、

雑誌や本のお土産がありがたかったです。