こんにちわ!

 

やっとブログを書き出しましたビックリマーク

 

知ってる人もそうではない人も、こんにちわ、

 

Coco Natsuko( ココナツコ)!!ぶちゅー

 

です。何そのふざけた名前!?って人もいるかと思いますが。

これは私のダンサー,コレオグラファー(振り付け師)ネームです。ウインク

 

自己紹介がてら、

私ココは生まれも育ちも東京の昔は優等生と呼ばれる部類に入るくらいの勉強がまぁまぁ好きな真面目な性格でして、両親親族ともに教師とゆう固そうな家庭に生まれました。(実際昔は固かったと思う)びっくりそれに根は今でも真面目だと思う。w

 

 

小学生高学年で某子供向け英会話教室に行き始め、漠然と海外とホームステイ生活に憧れを抱きだしました。ラブ(だって草原の中の家に住んで牛眺めて帰ってきてホームステイ先の人に英語習ってって憧れてたんだもん音譜

 

で中学生らへんで安室奈美恵、スピード、モーニング娘。などなどにはまり、と同時に海外アーティストにはまり、ジャネットジャクソンのVHS(俗にゆうビデオテープ)をレンタルし振り付けを見らがら踊るとゆうのが日課になったり、ブリトニースピアーズ、マライヤキャリー、ホイットニーヒューストン、ボーイズツーメン、らへんのCDも聞きまくり、家で流れてたMTVの海外のMVを見てはカッコいい!と思いを馳せていました。デレデレ

 

で高校生になり私の通っていたダンススタジオの先生にBDC(ブロードウェイダンスセンター)に行ってみたら?と言われ。(何その横文字のかっこいいスタジオビックリマークとか思いながら)

 

大手のダンススタジオなんて行ったことなかった私はドキドキドキドキしながらその門を叩きました。(その前は劇団みたいな総合型のダンス教室に行っていたのです。うんそう演技とかもちょこっとやっていました。プププ。笑い泣きそこで出会ったチームメイトの骨盤(私のやっていたダンスチーム)たちは私のインスピレーションであり大好きな仲間ですおねがい

 

でどの先生を最初に受けたか覚えてないけどそこで出会ったのがアメリカ行きを決意させる人物、ブリトニーのツアーダンサーや振り付け、プリンスの振り付けなどもしていた世界的ダンサーの

Andre Fuentes (アンドレフェンテス)!!ドンッ

さんでした。(この人物については後ほど多々登場します)

 

その他、このスタジオは外国人の講師を定期的に呼んでいたその当時ではなかなか最先端を行っていて、今でこそ普通に外国人の講師が来られるスタジオが増えたけどその先駆けだったと思います。長い付き合いのJose northy(ホゼノーティー)さんやTovaris wilson(トバリスウィルソン)先生もここで出会いました。17歳そこらの小娘に与える衝撃は半端なかったです。ポーン

高校の時の私は都立の進学校に行っていましたが、もはやダンス漬けの日々を過ごしておりました。進路相談で友達が有名大学を志望し学業に専念する中、アメリカに行きたいですと言ったところ、先生に

 

「いるのよねー、あなたみたいな人が5年に一人くらいー真顔(もはや諦め顔)」

 

 

とゆうことで私の決心は揺るぎ無く、BDCで出会った同じ名前のナツコさん(年上の薬剤師しながらダンサーやってためちゃキャラ濃いアンドレマニア、アンドレ好きでお近づきになりました)と一緒に行くから大丈夫、1年か2年で帰る!って言って。アメリカに渡りました!

 

そっからアメリカ9年も!

いたわ!爆ポーンポーン

 

とゆうことでこれは前半ですね。私がなぜアメリカに渡ったかです、

その後は学生ビザを経てアーティストビザを取得(O-1visa)してアメリカに滞在していました。

 

その後の流れが今ですが、それはまた次のブログで!!

 

 

このブログはずっと書こうと思って先延ばしにしてたけど2016年ももう直ぐ終わってしまう。そして何より今年日本を飛び出して10年経った節目の年でいろんなことが巻き起こったからです!

 

 

で自分を語るのもあまり得意でないけどこの徒然日記や記録を読んで、少しでも何だココナツコもそんな時があったのか、世界にはこんなダンサーがいたのか!

 

アメリカって面白そうかも、ココナツコのクラス楽しそう行ってみよう!

 

と思っていただければ良いかなーなんて思います!

 

最終的に自伝化目標。ちゅーズーズー

しく生きていこうと思います!

 

 

ではまたね!おねがい

Have  a great dayドキドキ