震災から3年7か月、遺族は悲しみ辛さを抱えたえてきた。
精一杯だった。
なぜ屋上に誘導されたのか。
支店浦には走れば一分で行ける高台、堀切山があった。
平成初めに国土交通省補助事業として宮城県は砂防工事をおこなった。
「一石三鳥」工事として山を切り崩し平場を作り、病院を建設、その土を埋め立て地用として利用、そして
津波の時にも避難する女川町の指定避難場所を作った。
銀行跡地も昭和37年頃の埋め立てにより作られた土地である。
堀切山は銀行の避難場所でもあった。
銀行は平成21年に支店屋上も避難場所に追加した。
堀切山より低く、津波に対する危険がより大きくなる屋上を加えたのです。
事前準備の段階で人命を守る上で大きな落ち度があったと私達は断言致します。
私達遺族は自分の家族を亡くした悔しさをただやみくもにぶつけているわけではありません。
二度と同じ悲劇を繰り返してほしくないのです。
私達のように同じ悲しみをかかえる遺族を作ってほしくない・・・ただそれだけ。
反省なくして再発防止はありえない。
12人の犠牲者を出した企業の責任として詳細な検証を行うべきです。
10月13日、堀切山向かいの通称「眺湾荘」から望む風景です。
横倒しのビル、江ノ島共済会館も今年中に取り壊しが決まったそうです。
私的には残念でなりません。後世に生きる人たちのためにも是非残してほしかった。
何も言わずとも津波の恐怖が伝わるはずです。
銀行跡地周辺はこれから5~6メートルの嵩上げ工事が行われる予定です。
工事車両の車が忙しく迂回しているのです。
この風景も今だけなのかと思うと複雑です。
ここであの時仕事をしていた人がいた。
商店を営んでいた人がいた。
忘れてほしくないのです。 忘れてはいけないのです。
後世に防災を語り継ぐために映像をのこす
(震災を忘れない為に・大切な人の為に)
20141012毎日新聞記事掲載 http://jump.cx/WtbFx