小3次女、甲殻類アレルギーがあるので、来年度の給食の管理表を小児科で書いてもらいに行ってきました病院


80歳になるじぃじ先生。

東大の理工系で研究していたが、40歳で東大医学部卒業して小児科医になった経歴指差し

42歳のナース妹が小学生の頃、喘息でお世話になっていた。診てもらっていたのは2年弱だけど、看護学生になった時に再会して、すぐに気付いて声を掛けてくれた。

何人か東大出身の医師に診てもらっているが、みんな記憶力が凄まじいあんぐり


21歳長女も生まれた瞬間からお世話になっている。総合病院にNICUを作ってくれたのも、この先生。

65歳で市の総合病院を定年で辞めて個人病院を開業してから、うちの姉妹のかかりつけ医。


次女の診察の時、毎回長女のことを気に掛けて聞いてくる。

今回の受診後も聞かれ

「長女の旦那さんも、先生にお世話になったそうですよ」

「名前は?」

「○○ ○○(義息子の名前)」

「え?○○!あそこは何人かいたよな〜。○○は何番目だっけ?

お母さんが、とにかく変わった人だったなぁ(笑)

元気にやってる?そうか○○と結婚したのか(笑)

2人に顔出せって言っておいて」

先生の感慨深く言葉を発しながら、嬉しそうな顔を見て、医師って素敵な職業だなと思った飛び出すハート


25年近く前、長女の旦那さんは生まれた時に片方の肺が機能せず、そのまま3年近く入院していた。



長女もその旦那も、生まれた時に生死の境にいて、じぃじ先生に命を救ってもらった乙女のトキメキ

長女夫婦は、じぃじ先生がいたから出会うことができたと言っても、過言じゃない。

長女が生まれ、助かるか助からないか50:50。助かっても障害が残る可能性が高いと言われて、目の前が真っ暗になって声を上げて泣いたのが嘘のように、今は母親の顔になってきた。


その2人が出会って、新しい命を繋ぐ。


まだ子宮口1cmなので、もう少し誕生するまでに時間があるかな?


この2人の子どもも、きっとじぃじ先生に診てもらえるだろう。

いつまでも、元気で医師を続けて欲しいなニコニコ



先生の記憶通り、向こうの親御さんは変わってますアセアセ

根本が真面目で安定を求める私と真逆のタイプ笑い

私の人生で、関わることは一生無いと思うような破天荒さ。

夫の母と同じように距離を取りつつお付き合いしていきます。