ノンフィクション本大賞

昨年の大賞は

「ぼくはイエローでホワイトで、
ちょっとブルー」

さて、今年のノミネート6作品


図書館で今年のノミネートを2冊借り、後の4冊は予約中です。大賞発表の11月までに全部読めるのか?

1冊目を読み終わりましたウインク

エンド・オブ・ライフ
著:佐々涼子

在宅介護と看取りをしたのが、もう10年以上前ですが、色んな感情を思い出しましたえーん

当時もたくさん書籍を読み漁りました。ガンに関する本、介護食の本、在宅介護の本、看取りの本、死に関する本…

エリザベス・キューブラー・ロスの名前が出てきて、懐かしさを感じました。
死の受容のプロセス
否認→怒り→取引→抑うつ→受容
介護する側が知っておかなければいけないプロセスだと、今改めて思います。


本書からも経験からも、最期を家で迎えられることは、家族には負担が大きいけれど、満足感もあります流れ星
昔は家で産まれ、家で看取るのは当たり前だったのに、今は産婆さんや往診の医師も少ない。本人は在宅を希望しても、住む地域によって在宅医療をできる環境が整っていなかったり、家族にも仕事や自分の生活があったり。


祖母の希望で自宅で看取りましたが、その時に診てくれた診療所の医師と看護師の奥さんは、祖母が亡くなって少し経った頃に廃業して県外の地元に戻られたそうです。
市立病院と連携がうまく取れなくて、患者の希望を尊重する理想の医療ができなかったのが原因らしいです。24時間待機態勢で、医師1人で選択しなければならない負担は大きいし、経営も大変だし、市立病院では科も分散されてたくさんの医師がいて、系列でもない新規参入は連携を取るのも難しい部分も多かったことは想像できます。
そんな訳で、私の住む地域では在宅医療の受け皿が無くなってしまいました。


祖父も義弟も、入院中に「家に帰りたい」と言っていましたが、希望を叶えられずに無言の帰宅になってしまいました。

余命宣告されても病院では自由は無い。夜寝れなくても消灯で電気を消され、他人のいびきや叫び声が聞こえ、人数が少ない夜勤看護師に迷惑を掛けたくなくてナースコールを押さずに我慢をする。自分の趣味さえ許されない。その代わり、いつでも医療関係者がいて、薬もモニターもあって、家族も安心して仕事ができて負担が少ない。


日々何気なく過ごす家ですが、住んでいる人にとって、大切な場所なんだなって、改めて思う。健康な時は「HOUSE」ですが、病気になった時は「HOME」なんですよね


先日読んだ「夢をかなえるゾウ4」もそうでしたが、特に日本人は死を感じないときには仕事の比重が大きく、死を考えた時に初めて家族との時間の比重が大きくなる。

〜もうすぐ、義弟の1周忌〜
いつの間にか1歳の姪っ子は、生まれてから父親といた時間より、父親がいない時間の方が長くなっている。
1年前の今、義弟は体は辛かったけれど、生きていた。8/3に入院をするまで家で過ごしていた。

実は、イントラ妹と私、1年程前に喧嘩をしました。
状況からナース妹と私は義弟の残りの時間は短いと気付いていて、私は子供たちのためにも在宅で診てくれる医師を探すことを妹に提案しました。
でも義弟とイントラ妹は、全身転移して身動きできなくても、治療すれば治ると信じて疑わなかったから、大きい病院しか選択肢は無かった。
私は妹に心の準備をさせたかったけれど、妹も葛藤と戦い、子育てと介護に余裕もなくて「お姉ちゃんは義弟が死ぬと思ってる」と言われ、妹からSOSが出るまで連絡を控えました。

みんな辛くて正解がない中、模索していく。先日のALSの嘱託殺人もそうですが、生きるって苦しい。でも生きるって、素晴らしい。