図書館で借りた本を一気読み
何かをきっかけに変わる時が来る
自分で気付かないと変われない

「ズバ抜けた問題児」の伸ばし方
作者は松永暢史さん
読んでいて、ズドーンと重い気持ち。
昔の私を思い出しました。完全にADHD。長女と違い、不注意も多動も衝動性も揃っていました。
担任や他の先生、副園長から幼稚園始まって以来の女の子の問題児と言われ、怒られ続けた幼稚園時代

作者と同じように2月生まれの私は「早生まれだから周りと同じようにできないのは仕方ない」、よく動くのに運動神経が悪いのも「生まれた時に股関節脱臼で、ずっとギブスしてハイハイもできなかったせい」と母は思って、人と比べずに育ててもらいました

小1〜2の担任は、私の事を面白がってくれる先生で、本当に伸び伸びと

私には幼稚園では園長、小学校では担任、家では母が良き理解者としていてくれて、変わり者の私を「この子は将来が楽しみだ」ってみんな言ってくれていました

しかし小3に上がる春に転校をして、理解者がいなくなりました。親の都合で転校させられたという気持ちが強くて、母に対しても不信感を抱きました

長女には同じような葛藤をして欲しくなくて、旦那は単身赴任

この転校によって私のADHDは影を潜め別人になりました
ただでさえ転校生で目立つから、目立ちたくないって気持ちが大きくなり、片付けできない私が超几帳面になりました
長女も小3くらいから、周りの目を気にし出すようになったので、1〜2年生で転校していたら、変わることは無かったのかもしれません。ただ、学校で自分を無理矢理抑え込んでいたので、家では母に反発するようになりました



本を読んで失ったものに気付いた。「この子は将来が楽しみ」と言われるような奇抜な発想力が無くなった

変わった絵を描く子が、つまらない無難な絵を描くようになった。もし○○だったらという空想の世界に入ることもなくなった。独創性がなくなって、AIでも代わりができるようなつまらない人間になった

長女はADHDと一緒に私が失った独創性を持ち続けている。作文や美術作品を見ると、親の私もビックリするくらい

幼稚園の頃は、長女は4月生まれで同級生より大きくて、目立つからこそ先回りして、厳しくしてしまった。
小学校に入ってからは


自分が変わったからこそ、長女にもそれを期待して、
「まだなの?まだわからないの?」
って、自分のものさしで見ていて、自分とは違うということを頭でわかっていても心が付いていかなかずに、イライラしてしまうことが多かった。
ADHDが強かった頃の自分の生きにくさがわかるからこそ、本当にしてあげたい対応とは真逆になっていました

学校では、みんなと同じようにできないと浮いてしまう。それがいじめに繋がるかもしれないって、長女本人を見ずに、周りと比較してしまう自分がいた
苦しむ長女に、親が1番の理解者じゃないといけないのに。

長女の場合、ボケっとしていても周りが「○○(長女)だからなぁ〜」くらいで理解してくれる。困っていると、必ず長女には助けてくれる人が現れる
私よりよっぽど周りに恵まれている


昨夜、3歳次女に寝る前の読み聞かせをしていたら、ふと長女が寝室に入ってきて「谷川俊太郎?」と。「学校でやった?」って聞いたら、「やってないけど、昔読んだ。スカートのやつでしょ?」と。さすがジャンル問わず子供の頃から読書好き。しかし、パッと出てきたのがスカートのくだり

本はきっと助けてくれる。
長女は長女のままでいい

子育てに苦しんでいた頃、そんなに周りと比べる必要は無かった
怒るより、その分長女の笑顔を引き出してあげれば良かったなぁ。
