今日は、母の命日です

お墓参りに行ってきます。
2007年1月22日にすい臓がんの手術をして、2年と1日の2009年1月23日に亡くなりました。
長女の参観日で朝から幼稚園に行っていたら、旦那から園に電話がかかってきて…慌てて長女つれて病院に向かいました。
朝、実習中の看護学校生と話して、次にその子が行ったら応答なし
普通は、状態が安定している患者を学生に付けるので…本当に急変でした。

亡くなってから、あっという間に月日が経っていますが、今でも母がいたら…って思う日々です

祖母は3ヶ月の在宅介護&看取り。
2007年10月8日に亡くなりました。
祖父は認知症で介護。
2008年10月17日に腎不全で亡くなりました。
1年4ヶ月の間に…家族3人看取りました。しかもこの間に旦那の祖母、父の兄2人、祖母の姉も亡くなっていて、旦那も車にはねられたり…本当に不幸が重なった日々でした。
重なってしまった為、やれるだけの精一杯をやりましたが、充分に介護できたかどうか(涙)
母は2年闘病期間があったからこそ、その間も「もしかしたらこれが最後かもしれない」という思いで旅行に行くことができた。長女にもちぃばぁばとの思い出を作ってあげることができた。少しは親孝行らしいものができたと思う。
祖母は、自宅で看取りを希望して叶えてあげれた。死の恐怖に直面して、24時間誰が付いていないと淋しがるので睡眠不足との戦いでした

祖父の優先順位が低くなってしまい、どうしても認知症にイライラしてしまう時もあった。あの時に、もし透析を受けていればあと1年くらい寿命を伸ばせたんですが…娘(母)が先に亡くなるって事が母にとっても、祖父にとってもいい選択だと思えませんでした。親より後に亡くなる事が1番の親孝行ってずっと言われて育ってきたのもありますが。
母が亡くなった後、たくさん泣きました。そして、たくさん寝ました。2年以上まともに寝れなかったので、これでもかってくらいに寝ました。そして、燃え尽き症候群に陥りました
介護と子育ての日々から、介護が無くなりどうしていいかわからなくなってしまった。ポッカリ穴が空いてしまいました。

1番辛かったのは、やっぱり長女だと思います。3人とも息を引き取る時に私も長女も付いていたし、思ったことを言わない我慢強い子だったから。母が亡くなって落ち着いた頃に、酷い喘息発作が出てしまいました。その時に、やっと辛い気持ちが吹っ切れました。守るべき者の存在って大きいです。しかも、娘を病院に連れて行く前に、「今、ちぃばぁばがパジャマで、ドアのところから心配そうに見てた。」
と…。亡くなった人に心配かけちゃいけないな。
不思議な体験は他にも…3人とも亡くなる前に誰かがお迎えに来たと言っていました。
母が亡くなって、自宅出棺前に写真を撮ったら…心霊写真が
3つの光の中に顔が見えるんです。しかも親戚誰が見ても、これが祖母、これが祖父、これが母ってわかるくらいに顔がはっきり写っていました。仲良く3人でいるんだなってちょっと嬉しく思ったり。

祖母の家系が霊感が強くて、超初期の本人な気付いてない妊娠を当てたりするんですが、母が「イチゴのショートケーキ」を嬉しがってたって言ったんです。亡くなる3日前のナース妹の誕生日に食べたケーキ
のことだなって、姉妹で納得。

そして、お経の間に写真をよく見ててとナース妹に言ったので、その意味が分からず母の写真を見ていたら…いきなり光り出して、ぶわーっと辺り一面蝶々が飛んでいたと
