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ビッグ ブラザーと言われたアメリカに住み、

 

日本を離れて久しくなるが、

渡米したころは米国人に対して頼るような、おもねる様な精神性を

持っていたことを否定しない。

要するに人を人として見る、語る、自分の人間性が欠落していたということ。成熟していなかったということだ。

 

白人に弱いと言われる日本人、それって自虐史観では?

日本文化や社会を優越と考え誇りをもって公家として日本を代表した岩倉使節団の欧米訪問。一年10か月に及ぶ。

岩倉氏のマゲと和服、そして5人の女子の着物姿に、アメリカ人達はエキゾチックな優雅さを感じていたそうです。

しかし、岩倉氏の二人の米国に留学していた息子達に「未開の国のそしりを受ける」と言われ猛反対にあい、マゲを落とし、洋装に改めた経緯があるという。

日本文化の誇りはどこに霧散してしまったのだろう。公家として。

今も現在の日本社会に影響を与えてしまっているのではと危惧する。

人間としての優位性や劣等感は、既得権益、経済力、人間関係、宗教、思想哲学、頭の良さ、を尺度で計ろうとするらしい。

 

長く一庶民として米国に住んでみてまさに苫米地英人氏の書かれた本にあったように体感している。

『キリスト教の社会においては、ただ神と人間、

神とダメな人間、いわゆる原罪を持った人間という関係しか無いという。』 

 

Mr. President「大統領、」とは初めの呼びかけ、後は「You, あなたは」と続く話し方。仕事時間を離れたらファーストネームで敬称もいらない社会。神の前にあっては平等という教えから来ている。

 

キリスト教における神と信者、人間の関係は同じ神を信じる者の中でのみ基本平等と言われる。

その他は人間であって人間でないが通じてしまう。

宗教同士の戦いは相手が悪魔だから殺戮の正当性にもなる恐ろしさ。

 

差別を考えるに最も邪悪なのは宗教によるものと思う。

本当に神は差別を求めたのであろうか?

イエスやモハメッドは、その力、権力に裏付けされた布教を許されたはずはない。

信仰の自由は、信じない自由でもあるべきである。

そもそも宗教は貧しき人々を救う、手を差し伸べるにさかのぼる。

 

伊藤博文(初代首相)が欧米視察して帰ってきてから日本はキリスト教に改宗すべきと主張し、森有札(のちの文部大臣)は日本人は国語を英語にすべきと主張した。

この明治維新の主要人物達は西洋を視察してきて、西洋に憧れ、同等の価値基準を日本へ取り入れ、日本を富国強兵へ、西洋化を急いだ。