看取り日記より〜
その日は
16:09主治医から電話があり、
胃液で誤嚥したり
腸が破れて体内に便が漏れたり
もうギリギリの状態で生きていると
告げられる。
熱は37度ほど翌朝までは
もたないらしく
直ぐに病院へ向かう。
まだ暫くは居たかったが短時間で帰された。
コロナ禍だから仕方ない。
当直の看護師には、もしもの時は
早めに連絡を
してもらうようにお願いした
最後は、孫にも会えるようにお願いした。
20:25分看護師から電話あり、
血圧が測定できず、
やっと取れたが、
60しかないとのこと
直ぐに来てくれとの電話であった。
急いで駆けつけて
息子2人の顔を見せた。
息が苦しそうで、何度も呼吸が止まった。
声を掛けると戻ってくれて、眠っていた。
なんとか、持ち直してくれたら
いいのにと思った。
痰が溜まっていたので、
看護師にお願いしたが
痰吸引は、危険らしい。
それなら、辞めようと思ったが、
看護師が急に短時間で行った。
呼吸が落ちてしまいその後呼吸が
止まってしまった。
内心、止めたら良かったと思った。
複雑だった..
しかし、私は裏腹に看護師にお礼を伝えた。
病気と十分に戦った父
に早く逝かせてあげたい
気持ちもどこかにあった気がする。
幸いなことに蝋燭の火が消える様に
逝った。
5年間介護して最後は
看取れてよかった。
もっと生きて欲しかった。
寂しい。
喪失感でいっぱいになる。
お父さんありがとう
22:17分永眠
霊柩車が0:00ごろお迎えに来た。
父は、無口であまり怒る事もなかった
母からの暴力に助けてくれた事はなかったが
父からは殴られた事もなかった。
大事にしてくれた祖母からもたまに
虐待はあった。
父は唯一、安心な存在だった。
弟は精神障害まで発症した。
何でこんな家庭に生まれたんだろうな。
弟は父の死を悲しむ事はなかった。
いつも思う。
心が安定して来た時期に
限って必ずといって不幸が訪れる。
私のメンタルを誰かに操つられているか
のように..
幸せにはなってはいけないと
言われてるみたいに