今月、父が急逝しました。
随分前から足を悪くし、5分も歩くと痛みが強く辛い父。
以前は、ご飯を作ったり、買い物をして持って行ったり、病院に付き添ったりしていたけれど、私の症状が悪化し、簡単なご飯を作るのにも何度も休み、何倍もの時間がかかるようになっていて、又自転車に乗ると息切れし、自転車で15分の実家にもなかなか行けなくなりました。
電話はしょっちゅうしていました。
そして検査入院することになり、父が心配するから入院の事、内緒にしたかったけど、2週間も電話通じなかったらおかしいよね?と検査入院する事を伝えました。
結果、ALSと診断され、高齢の父に何と言えばいいのかと泣きました。
でも、心配している父、退院日には必ず電話がある。隠しきれない。自分で言わなければ。
泣くのを堪えて「治らない病気だった。治す薬も無くて、手術もできなくて、足だけじゃなくて、手も動かなくなって、喋る事もできなくなる。余り長く生きられないみたい。何もしてあげられない。ごめんね。ごめんね…」堪えきれなくて泣いてしまった。
父は「謝らんでいい。大丈夫やから。」と言った。電話を切って泣いていたと思う。親不孝だなと泣いた。
それから、時々「体調はどうや?大丈夫か?」と電話をくれる。本当なら私が電話をして体調を気遣ってあげないといけないのに…。
自宅で倒れていた父。
まわりは私に気遣って最初は話してくれなかった。でも、変な感じ、わかるよね…。
聞いた後、心配されないように泣かなかったけど、夜、おじいちゃん大好きだった娘の啜り泣く声が聞こえてきて、堪えきれなくなって、私も泣いた。それからは2人で抱き合って泣いた。
葬儀は、自宅で亡くなっていたから、父は警察にしばらく預けられ、4日後に行われた。
悪魔のようなALSのせいで、何にもしてあげられなかった。
いっぱい心配をかけた。
憎きALS!新薬が出たら叩き潰してやる!
明るく、賑やかな事が大好きだった父。
ユーモアたっぷりの父。
私がいつまでも泣いてては叱られる。
娘とおじいちゃんとの楽しかった思い出をたくさん話して、美味しい物食べた。
まだまだ悲しくて、涙が出る。
でも、私はまだ悪魔と闘わねば。