いつものことながら、ブログを書く時間は沢山あるのに、振り返りができませんでした。


今回は母親のことを。

3月8日に膵臓全摘手術を受けました。膵臓、脾臓、胆嚢、十二指腸、胃の一部、胆管を切除、門脈にも絡まりがひどく再建も大変だったと電話で説明を受けました。

手術した病院は院内で待つということなく、自宅待機で終了後に電話がくるということだったのですが、少なくとも10時間と言われ、とても長く、落ち着きませんでした。

朝から神社、2つのお墓と、私には成功をお祈りすることくらいしかできず。。。


三週間ほどの退院まで、ほぼ毎日のように面会へ。片道40分は抗がん剤服用中は正直辛く感じるときもあったけれど、癌と診断され退院してから、毎日後悔なく過ごすようにしています。

1日1日大切に。


膵臓を全て切除したので、糖尿病になることは覚悟していましたが、こんなに大変とは思いませんでした。

退院してから食事と血糖値の管理が安定せず、脚の浮腫と体重増がひどく、一週間を待たずして、外来へ。

その日私が付き添って行ったのですが、昼過ぎの予約のため、お弁当を用意して病院の駐車場で車の中で食べました。インシュリンは1日四回、食前と寝る前です。

腕につけてもらった測定器をスマホで測定し、インシュリンを打ち、うどん一玉とおかずを食べていました。

浮腫としびれで歩けなかったので、車椅子で連れていき、診察、血液検査と造影剤のCTを受けることに。

待ち時間も長く、私も朝からお腹が痛かったので、待合のソファーに横になってしまいました。

この時間で母がとてもダルそうにしているのと眠そうなのはわかっていましたが、それがかなり危険なことになるとはこの時は思いませんでした。


検査後名前を呼ばれるまで母はベッドで横になられせてもらい、私はまたソファーで横になり、一時間以上は待っていました。

やっと手術をしていただいた医師に呼ばれ、母はよく眠っていて起きないため、私が話を聞くことに。

浮腫の原因はわからないけど、気になっていた門脈の関係で流れが悪くなって詰まっていることはない、肝臓や肺も問題なさそう、血液検査結果としては、BNP(心臓と関係しているそう) という値が高いので、専門の先生と相談する、どちらにしてもこのまま入院です、と。


そして、母のもとへ行くと、先ほどよりもいびきがすごくて、何度大声で呼び掛けても叩いても、何も反応がありませんでした。

私は嫌な予感しかありませんでした。叩くとか大声で声かけるのレベルではないんじゃないのと感じました。

そのうち大声を出し、体は少し硬直状態にもなり、いびきも更に大きくなっていくばかり。。。

医師が、血糖値は?と、そこで初めて血糖値を測りました。

10でした。

私は知識不足ではあるけれど、こんな数値聞いたことありません。

これはほんとに危険な状態なんだと心臓をグリグリされたような感じで、父と兄へ状況を伝えました。

母もその後自分で話していましたが、まるで三途の川を渡っている、そんな印象。今思い返しても辛くて、もうあんな状況嫌です。

もしかして……こんなことは口に出したくないけれど、一瞬よぎったことは事実です。

その後、点滴をし、医師と私で声をかけて目が覚めるよう必死でした。

すると少し首を縦に横に振り、それでも目を開けるまでは時間がかかりました。

やっと目を開けたとき、私の顔を見て少し微笑みました。

その瞬間を思い返すと今でも涙が出てきます。

よかった、まだ安心できないけれど。飴があれば口に入れてあげてと看護師さんに言われ、バッグに入っていた小さなグミを口に入れてみました。

噛むことができ、美味しい美味しいと言ってくれました。

少しずつ血糖値があがればいいなと、また一つまた一つ。


もう17時は過ぎていました。

ここから入院の手続きを色々し、病棟の用意ができるまでまた暫く待つことに。

受付で手続きし、病棟からお迎えにきていただいたとき、また母はよく眠ってしまっていました。

兄が駆け付けてきてくれ、話をすることも顔を見ることもできなかったけれど、二人で話をしてそのまま帰りました。


私は途中神社でお参りし、母の弟で医師をしている叔父のところへ話をしに寄りました。

私のときも、勿論母の手術までも、色々と相談したり話を聞いてもらっていて、ここ数ヶ月随分連絡をとるようになりました。


家に着き、何とか少し夕飯を食べて、自分も1日もってよかったなあと思いました。

病院へ着いてから、お腹の痛みが増し、最後まで付き添いできないのではとほんとに思ったので、必死なときは何とかやれるんだなと思ったりして。

その後病院から連絡もなかったので、無事でいると信じて就寝、眠れなかったけれど。


そして、3時ごろ、母からSNSで連絡がありました。

よかったえーんえーんえーん

6時過ぎには電話もあり、話すこともできるんだなと安心できました。


翌日は父と二人で面会へ行き、着いたら兄が先に来ていました。

三途の川の話をしていました。

もう連れていかれそうになったけど、先生と私の声が右から左から聞こえてきて、それでもまた連れていかれそうになって、フワフワしていたんだと。

母はよく頑張ってくれました。


帰宅中昨日の叔父から電話がありました。

他県に出張と聞いていたので、きっと終わってすぐに連絡してくれたんだなあと感じました。

原因はまだ話してもらっていないけれど、まずは無事と伝えて。


また面会へ通う日々が続き、いつ退院なのか、なかなか決まりませんでした。

それでも本人は日に日に元気になっていき、面会のときは私のほうが患者か、っていうくらい汗よく喋ってました。


徐々にこのところ体調が安定せず、体の色んなところに痛みだったり痺れだったりを感じるようになり、抗がん剤の副作用なのか、再発や転移なのかと、色々不安になっていました。

2月に受けた乳ガン検診でも石灰化を指摘され(10年くらい何度も経過観察を繰り返してきた)、マンモトーム生検をすすめられたり。。。

少し怖かったのと外科通院している同じ病院でみてもらいたかったので(そこではマンモトームはやってないとのことだけど)、MRIを撮ってきました。

結果は来週、今回は少しドキドキしてますショボーン


そして、退院が決まり、本日お迎えに行ってきました。

帰りにスーパーへ寄ったときも自分で選びたいからと広い店内を歩き、少し安心しました。

食事の糖質管理と血糖値、インシュリン注射の管理がうまくいってくれればいいなと思いつつ、また何かしら入院になることはあるのだと覚悟。


私も元気でいなければなりません。


帰宅後ひどい悪寒と倦怠感で少し寝込んでいます、無理はせず、家族に負担をかけないよう。

色々が、何とかなりますように。