とっても遡れば
2019年7月30日に自分の病院で右肩多方向不安定症に対して手術目的に入院した。
当初装具固定3週間の予定で入院も3週間の予定だった。
2019年7月31日 予定では8時半入室し11時には終了する予定だった。
8時半入室し終了したのは12時半だった。術前では見つけられなかった内部の損傷があり追加処置を行い長くなったらしい。
いざ出発
言ってた話と違う………
そして痛みがなかなか引かず痛み止めの日々から薬が合わずに意識消失を繰り返しそれまた予定外に入院が長引いた。
7月30日から10月10日まで入院した。
その後も疼痛コントロールで大学病院の麻酔科への通院も始まり神経ブロック注射も10回やった。
注射後は30分間の安静。
リハビリは続いていた。そんな最中2020年。コロナの年。
5月に耐えきれない口内炎、陰部潰瘍、発熱もろもろで街の婦人科→総合病院→大学病院へと回されて不全型ベーチェット病と診断された。
そしてそんな手続きをしている最中
2020年7月28日職場の朝礼後に体調不良と痙攣にて救急外来へ運ばれた。(自分の職場)
2020年7月30日 まさかの二年連続の入院日となるとは。
7月30日午前中は働き昼休みに先輩に言われて休んだ。そしてそのまま痙攣を起こして他院へ救急搬送された。
意識はないまま気が付いたら8月5日。
ICUにして人工呼吸器、その他もろもろに繋がれたまま起こされた。
診断名→痙攣重積発作
そして翌日には抜管。死ぬほど痛かった思い出だけある。合併症として反回神経麻痺、嚥下障害、右腓骨神経麻痺、歩行障害、廃用症候群。
そこから痙攣を繰り返し薬を入れるには鼻からの管。栄養は首からの管。
この管の感染をまた起こさない様にする為に嚥下障害改善目的に9月24日に転院した。
死ぬほどここでは辛い思いをして泣いて死にたくなった。
でもおかげでかなり食事は食べられる様になった。
そして10月27日に薬の調整、頭痛の治療の為に再び元の病院へ再転院。
薬の減薬症状で数日痙攣を起こしたけれどそのあとは基本的に大丈夫であった。
ただまったく歩けない状態を改善する為にもリハビリを強化してもらった。
偏頭痛、群発頭痛の治療として高圧酸素療法、トリプタン製剤、皮下注射。色々試した。
そしてICUのころから数えて113日。たくさんの医師、看護師、リハビリさん、助手さんに救われて。
そしてもちろん家族にも感謝。
まだ頭痛も残っているし通院もリハビリも続いていく。
失ったものは多かった。
数えきれない心の傷。痛み、苦しみ。時間。目に見えないものはもちろん。
検査や入院費、無給料。右足の機能、そして何より車の運転。(最低でも2年は禁止)
でも無事に退院を迎えた。
とりあえず入院編はこれにて完結です。
ありがとうございました(^^)