急用 | ー こどもと暮らす ー

ー こどもと暮らす ー

こきちです。
子供中心の生活に変わり、ブログタイトルを「やむ、ヤム、yammy!!」から変更いたしました。
主に子供との時間、長年のライフワークである懸賞の事を書いてます。

コスモスに行こうとして、また道に迷ってしまった。
たぶん、折れるコーナーをいつも間違えてるんだと思うけど毎回間違えちゃう。

帰り道に小料理屋のおかみさんに新品の揃いのガラスの器を頂いた。
店を閉めるようで、店先でガレージセールみたいに並べて「ご自由にどうぞ」という立て札があった。
無断で持ち去るのは心苦しく、丁度戻っていらっしゃたのでひとことお声かけしたら、「もう2枚あったのですが先ほど他の方がお持ち帰りになられたばかりです(*^^*)」とのことだった。

昭和レトロなガラス製のうつわ。
昔のものには手にもった時にほっこりする温かみがある。
刻みに味があったり、気泡が含まれていたり。
ひとつひとつがちょこっとずつ違う。

恐らくギフト品で半既製品みたいな感じだが、ずっしりとした厚みもあり、何でも割っちゃうチーチーでも大丈夫だろう。
大切に使わせて頂きます。
お店の隣がご自宅のようだったから、あとで入浴剤か何かをお礼に持っていこう。


お夕飯は昨日の残りのスープときのこと豚肉の炒め物、赤玉ねぎとかにカマのサラダを作った。
ちーちゃんは今日もぶっちぎりの食欲だった。
暑い日が続き、連日のように発泡酒も半分こずつ。


食後、父と妹から交互の夥しい着信に気づき、とうとう祖母が・・・。
と慌ててかけなおしたら、母の妹である叔母の訃報だった。
心臓が悪く、ペースメーカーで生活しており、薬の副作用も酷かったのだが、それが普通になってしまって、まさかこんなに早くとは誰も思わなかった。
先日、数奇屋暮らしから離れ、やっと一戸建ての新築を建てたばかりで従姉妹の結婚も決まったばかりだったのに。


明日、島に帰ることになった。
チーチーは今回も来ないようだ。
仕事が忙しいとのことだった。
相変わらず、ズル休みと早引はしょっちゅうなのだが。

昨年秋に父が喪主で私の実家で葬儀を行う時すら来なかったのでもう諦めている。
船酔いが嫌だからだ。
「仕事でちょっとはずせない」などといいながら、当日、早引して帰ってきたのだ。
満面の笑みで玄関をあけ、手にはホカ弁と漫画の入ったビニール手提げ。
私が家を出ようとしていた時で、真正面にいたことに顔が凍りついていた。
もう出かけていないと思い込んでいたのだろう。

私は毎回車に酔ってゲロを履きそうになりながら、仕事を休んでチーチーのほうには何度行ったかわからない。
夫は母親そっくりで言われるがまま、自分側の冠婚葬祭や母親の要求には積極的で、こちらには知らん顔だ。
子供の頃はお義父さんが生きているのにずっといないことで心配をかけまいとし、甘えてばかりの母親もしょうがないと許していたのかもしれないが、お義父さんがいないのはお義母さんがついていかなかったからだし、今は「お飾り家長」は隣にいるのだ。

「仏」の用は必ず、礼を欠いてはいけないというと、「お祝い」のほうが大事だと言って。
そういうってこちらの葬儀や供養類は無視し、無理に無理を重ねてごり押しで母親の退職祝いまで馳せ参じさせられた。
お義母さんもやはり同じ「船酔い」と「自己中」という理由で、挨拶に来る時ですら、自分の都合のいい日を連絡してきたのに、私は飲み会があるから来ない。などと言ったりする。
最初から来る気がないのなら、「犬猫を貰うのじゃあるまいし、挨拶ぐらい行ってやるたい」などと言わなければよい。
冷酷でずるいのは本当にお義母さんそっくり。

それ以前に、お義父さんも婚前から熊本まで呼びつけて、自分の実家の稼業まで手伝わせるのなら、礼儀としてまずは親に挨拶ぐらいくるのが筋だと思う。
圧力をかけて無理強いしたり、人を試すようなやり方や恩着せがましい汚いやり口はお義父さんの最初の会社での十八番というか伝統だ。
上から下に、更に下に。孫、曾孫、そのずっと下まで続く下請けの末端である会社は、何の義理もないのに仕事をもらいたい一心で悲鳴をあげていた。
そういう恨みしか齎さないやり方とだらしの無さが嫌で、出向中に社員にならないかという引き抜きの誘いを断ったのだ。
袖振り合うも多少の縁とはいうが、まさかの共通点だった。

あの男は、長男の嫁であるのに亭主にも付いていかず、自分の母親に20年も甘えて、その親がこれから手がかかるという時に捨て、死んだ後まで骨のなすりあいをし、見も知らずの土地に死んだ母親を追いやって、すっきりした顔で飲み会の話をする冷酷な自分の嫁にも同じ思いをさせてみればよい。