診断もらってから何年か経ったけど、相変わらず「発達障害」という言葉がしっくり来ない自分です。


自閉症って言うと、クルクル回って手をヒラヒラ、言葉はオウム返し、みたいな典型的なイメージが浮かびます。

一応普通の子として育った私は、そういうことはしてなかったし。イスでクルクル回るのは好きだったけど、やる場面は選んでましたからね。

会話も出来るし、雑談も(聞き役だけど)するし。


かと言って、「普通」のコミュニケーションが出来てるかと言われると、返事に困ります。

対人場面で、なんか間違ったかな?といつも感じさせられます。

私がなんか言うと、相手が微妙な反応になる、なんて日常茶飯事。理由が分かればいいんだけど、それは分かりません。


(子供っぽいけど)若いから、と許してもらえる年齢が段々過ぎてきて、変な人、ならまだしも、失礼な人と思われやすくなっているような気がします。


だから、コミュニケーション面での成長曲線というものがあるなら、だいぶ下回っているんだろうとは思います。それでも「発達障害」と言う言葉のニュアンスが、なんとなくしっくり来ないのです。


むしろ「部分的な知的障害」という表現のほうが、分かりやすく状態を表している気がします。

脳機能の限界があって、できない事がある。

それを分かりやすく言うと「知的障害」になると思うのです。


発達障害というと、治るだとか、努力で克服するものだとか、甘えだとか、、、

猫も杓子も自分は発達障害ですと「告白」してみたり、、、

なんというか、人口に膾炙して俗っぽくなって、結局普通なんじゃないの、みたいに思われてる気もします。

誰だってみんな発達障害だ、という論調もあります。


脳機能の故障による限界、それによって極端に困ってることがある。

それをスマートに表現するには、もう有象無象のイメージがまとわり付く「発達障害」と言う言葉では難しい気がします。


かと言って、「自閉症」というのも前述の通りのイメージなのでなんか違う。


できないことを説明しなきゃならない時、「部分的な知的障害があるんです」と言えたら、伝わりやすいんじゃないかな、と思っているのですが、どうでしょうね。

というか、ホントはそう言いたいんだけどな、と思っています。




朝からなんか面倒くさいことをつらつら書いてますが、今日はお掃除しなきゃいけない日。
ゴミ当番のお仕事もあるし。

現実逃避してないで、掃除しなきゃ。