私は今現在は「支援」を受ける側にいます。


その立場で、「支援」とどう付き合っていけばよいのだろう、と時々悩みます。


就労支援でいくつかの場所を利用しました。まずはどのような問題があって、どんな助けが必要なのかを把握しようとします。

問題点を克服するためにどうすればいいか、どんな「訓練」が必要で、どんな配慮が必要か、探っていきます。


振り返ってみると、「支援」というのが、問題の明確化に終始しているように感じられてなりません。



話がそれますが、最近は、問題点というのを生きづらさと表現する方もいらっしゃるようです。


生きづらさ、ってなんですか。


生きられなかったら死ぬしかないんですが、私には、ものすごく暴力的な言葉だと感じられてなりません。

生きづらい、とやむを得ず言う方もいらっしゃると思います。死んだほうがマシ、というよりは、まだ柔らかい表現なのかもしれません。


生きづらさという表現を他人に使っている場合の、その言葉の意味合いが、私には把握できていないのだろうと思います。

それでも、使いたくないし言われたくもない言葉だなぁと思います。幸い、まだ言われたことはありませんが。



話しがそれました。

私の受けてきた「支援」というのが、問題点のあぶり出しに比重が置かれ続けているように感じる、ということでした。


そして、これは支援を受ける側の各自の個性に依るのだろうと思いますが、私の場合、マイナスの評価に引っ張られて全体的な能力が下がってしまいます。


また、支援の場においても、できないことがある=全てにおいて助けてあげなきゃいけない、になりがちに感じます。その雰囲気に呑まれて、余計にできない人になっていく。


まるでアリジゴクのようです。


「支援」を受けてきたこの2年で、私は仕事をすることができる、という自信がどんどん削ぎ落とされました。

人のために役立つことができる、と思えなくなりました。


今、何をしたら回復に向かえるのか。

自分の能力で何ができるのか。


出来ないことや問題点はとりあえず置いといて、できることや長所を見る、そんな視点も必要なのではないかなぁと思ったのでした。


身近なところでは、クリニックの先生と、ハローワークの支援者さん、このお二人がそんな視点で見てくださっているように思います。

そのおかげで、なんとか心が折れきらずに保っています。


いろんな「支援」によって、今生活出来ていることに感謝しつつ、「支援」と上手に付き合えるようになりたいなぁと思ったのでした。