とても久しぶりに、ブルーハーツが聞きたくなった。
体調が悪化して以来にぎやかな曲は全く聞けなかったので、CDは実家に置きっぱなし。アマゾンプライムで探してみたところ同じ名前の違うグループしか出て来ない。そんな訳でユーチューブで聞いてみた。
何曲目かに流れてきたのがライブ音源の「青空」。
歌が終わったところで一言「あおぞら」と曲名を低い声で告げる声が入った。その声を聞いた途端、切なくなった。
心の深いところを言葉に写し取って、それを音に乗せて。想いが形を持ったなら、それはとても幸せだっただろう。その、形になった想いを、想いの色と違う色彩で満ちた場に売るのはどんな気持ちなのだろう、と。
20年くらい前、同じように、歌う歌手を見て辛く感じたことがあった。尾崎豊の回顧番組で、亡くなる少し前の収録映像を見たときだ。
苦しそうに、本当に苦しそうに「卒業」を歌っていた。
当時のわたしは、もうこの歌を歌う年じゃないから苦しいのだろう、と思った。歌が終わると観客は歓声をあげた。
今思うと、それは美しい少年の心を、春をひさぐように売る苦しみにも見える。
そして、苦しさを歌にして、共感を得て、それは美しい宝石のように心の宝、過去になるはずのものだった。でもその宝石の中に閉じ込められてしまったのかも知れない。成長して過去の自分として歌うことが許されなかったのかも知れない。その苦しみ。
まるで、木靴にはめられた足のように。
記憶から思考を進めるうちに、そんなことを思った。さらにそれは、わたしの苦しみでもあるのかもしれない、と。
…これ以上は、書けないことに、唐突に気付きました。
感じることや思考はあるけれど、文字に写し取ることは出来ないようです。間の悪い方に筆が進んでしまったので、もう、ここで。