真澄。 | ~ひとり静~

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春一番の思いよ届け 青空はあなたに続く色の階段 俵万智

ぶんぶんさんから、真澄情報をいただき感謝です。

この記事は、静ワールド全開でいきます。

静ワールドが、あなたの望む世界でなかったとしても、静を見捨てない人だけご覧ください(笑)。




君想い
真澄という名の日本酒を
傾けている
友の隣で






これは、2002年の年末近いくらいに詠んだ歌じゃないかな、と思います。

場所は、阪急三宮の北側の地下にある居酒屋。

その【友】は、鳥取の鷹勇を飲んでいたような。。。



静さんは、友達の隣で【真澄】を飲みながら、いろんな話をしつつ、胸中は【君】を想っているわけです。

2002年というのは、看護師として就職して3年目でした。

3年目って、一通りのことは出来るようになって、現実に目が向くようになる時期だと思うんです。
今の職場で続けていくか、心機一転職場を替えるか、みたいな。

私は、職場を替える組でした。
なんかねぇ、公務員ていう組織に一生籍を置く気になれなかった。
自分は、市民の皆様の税金の上に胡坐をかけるような人間じゃないと思った。

それと、この年の9月に大好きなN先生が開業のために退職した。

そんなこんなで、なんかね、人生リセットしたい気分もあった。






N先生の患者さんに、【真澄】さんはいてた。

30代?もしくは40代前半?

チームが違ったから、詳しくはわからないんだけど、若い患者さんだった。

化学療法で、髪の毛のなくなった頭を隠すことなんてしないで、スキンヘッドが似合い過ぎるくらいのパワフルさと明るさを持った方だった。

N先生に絶大な信頼を寄せてケモ(化学療法)を続けていたけど、病魔は容赦なかった。





N先生からの、ハッキリとした病状説明で真澄さんは、ホスピスに行くことにした。

ホスピスに行く。

そのことを、【生を諦めた】というのは正しくないけど、現実としてはそう。

積極的治療から、手を引くんだから。



ホスピスは、予約がいっぱいでなかなかベッドが空かなかった。



やっと空いたと連絡が来たホスピスに、真澄さんをほうり込むようにを転院させたのは・・・


詳しくはわからないけど、亡くなるまで一ヶ月もなかっただろう。




真澄さんが亡くなったと連絡があってから、N先生と飲んだ。



たわいない会話から、アルコールが入るにしたがってディープな話題になる。

ちょうどそのお店に【真澄】があって、二人で注文した。



【真澄さんは、頑張ったよ。ほんとに頑張った。N先生ありがとうって、見舞いに行った時も笑顔だったよ。】


と真澄さんを偲ぶN先生。


真澄さんを救えなくて、医療の限界を一番感じて、一番悔しいのは先生なのに・・・










だから先生は、ガンから手を引いたのかな。

それはわからない。

今は不妊治療を専門にしてる。

真実はわからないけど。。。



真澄さん、私は(私たちは)あなたを思い出しますよ。


真澄さんだけじゃない。多くの患者さんを、忘れることなんてないんだと思う。






今日府知事から、【驚愕の新事実】と題して、彼氏いなさそうと思っていた人が妻子ある人と付き合っていた、という内容のメールが来た。


府知事のテンションの高さに冷めている私がいた。



勝ち負けの
問題じゃないと
悟される
問題じゃないなら
勝たせてほしい

俵万智



こういう歌もあります。
大人なんだから、いいんじゃないですか。

と返信した。





周りがどう思っても、どんな恋愛の形だとしても、本人の主観なんだと思った。


それも愛と思えば、愛の形。