手放すために 会いに行ったのだった

自分をがんじがらめに 縛り付けていた過去と さよならして

新たな自分へ ステップアップするために 覚悟したのだった


手放す 

それは 

私一人だけの問題ではなかったことに

手放しに行って 気がついた


手放したつもりになっていたが

新たな形の始まりでもあった


あの後 母からの連絡は 一度もない

「本当に忙しいから、電話には出られないことの方が多いから。」と

一言伝えたから、かもしれない

母の優しさかもしれない

一人娘に 迷惑はかけられないから

お金をもらってしまった手前 電話しづらいということもあるかもしれない


本を読むことが好きだと言っていた

その言葉に ふと

この本を読んだら送ってあげようか・・・なんて思いを

新潟へと飛ばしてしまう自分がいた


何十年も離れていても

どんなに傷つけられても

こんなに悲しくても

母と過ごした たったの5年間は 

私へ 「かけがえのない愛」として 伝わっていたのだろう

母の優しさは 今も覚えている しっかりと

そして

新潟でご馳走になった おいしかった料理の味も

きっと一生忘れることはないだろう


あなたに生んでもらって よかったと

ありがとうと

きっといつか 伝えることがあるだろうと思う


そのときまで

私の作った「母への21の手紙」はとっておこうと思う


手放すはずが

違う表情を見せる 思い出となっていた

私の心の中は 意外とすっきりとして

晴れ渡る青空 というよりは

きらびやかな 夕日という感じがする

ありがとうございます


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そら2


今日も空は青かった

強く冷たい風が吹き、私の顔を平手打ちするかのようだった

この青い空も 冷たい風も

ただ「今」この瞬間を すーっと生きているだけ

自分の役割を 自分の使命を 今 ただ 行っているだけ

何かを赦すのでも 受け入れるのでも 否定するのでも

愛するのでもなく

ただ 淡々と 今の瞬間を 照らすだけなのだ


私は 幼い頃からの自分が傷つけられたと 思い込んでいる過去に

今は 縛られている

正確に言うならば 縛っているのは この自分だ


縛って 苦しんで 

どうしたいのかというと

その問題を打開したい 

その一心なのだ


私は かつては 「赦そう」と考えていた

そして 「受け入れる」ことをしようと思っていた


とても落ち込んで、どうしようもなくなったときに訪れた

精神科の医師に

「どうして、そこまで克服しようとするのですか?

克服しようと思わなくてもいいのではないですか?」

と言われた。

その言葉は、医師としてというよりは、

彼の心の中の何かが言わせたような、

そんな匂いがした。

「医師である私にも、いろんなことがあります。

だから、精神科の医者になりました。

苦しいことを乗り越えようと思わなくてもいいと、思いますよ?」


今また、その言葉を思い出す

考えた

そして 考えるのをやめた

そうしたら ふと言葉が降ってきた

「赦すのも、受け入れることもやめなさい」

それが、今年のお正月三が日にいただいた言葉だった


あまり元気が戻らない私ではあるが

その元気にならない部分を そのまま受け止めることができている

「今は、過去に止まっていてもいいよ」と

認める自分がいる

だから 苦しくて悲しいのだけど

精神的の深い部分は 実は 傷ついていなくて

楽だ


感情を 感情のままにするのではなく

感情が噴出したら その感情を少し頭上から見下ろすように

「そっか 今 あなたは 怒っているのね

腹立たしいのね」

そう声をかけてあげる

そうすると すーーっと何かが抜けていく


札幌の心理セラピスト 西谷真美先生が言われたことが

ようやく実体験できた


なんとかしたいと思わなくていい

なんとかなるときに なんとかなるものだ


今は 自分のその 過去に縛り付けている自分を眺めて

「悲しかったんだね 辛かったんだね

傷ついたね 怒っていいよ 泣いていいよ」と

感情を 認めてあげる作業

それだけで いいのだ


誰かを「赦す」ことも

何かを「受け入れる」ことも

やめて

自分の感情を「受け止める」ことをすれば

自然と

「手放す」ことに繋がるのだと

思っている


そう、今日ふと降ってきた言葉は

この「手放す」だったのだ

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すべて、2009年冬に書かれた、ブログでした。
読んでいただき、ありがとうございます(^^)

えがお