夏休みは、子ども達と満喫している私に、
ブログネタが、降りてきません。。。
が、お盆休みに、両親や親戚と会って、
古き友人に会って、
どこかで感じた焦燥感なるものが、
あった人もあるのではないな?と想い。
私が2009年に書いた、30数年ぶりに会いに行った実母と
自分で作っていたであろう、呪縛から解き放つまでの物語を
再度ここで、披露することにしました。
☆∮。・。・★。・。☆・∮。・★・。 ☆∮。・。・★。・。☆・∮
2009年11月26日のブログ「ゆずりは~子想~」記事より
39歳の私のテーマは、「手放す」だ。
自分自身の過去で、自分を縛り付けていた。
そこにしがみついていないと、自分の生そのものが危ぶまれていたからなのか?
ただ、悲劇を嘆くヒロインになりたかったからなのか?
34年ぶりに、生みの母親に会いに行った。
お守りに、龍の形をしたネックレスを、友人にいただいた巾着袋に入れて。
東京にいた時に、一度会っている。そのときから数えたら21年ぶりになる。
11月21日土曜日、新幹線に乗り込んで、
大宮で越後湯沢まで、越後湯沢から直江津まで、直江津からレンタカーで糸魚川までの道のりは、とてもとても遠かった。
今私は、まだ気持ちの整理がついていない。
だから、旅行会社の日程表みたいにしか、書けないでいるし、
人にもどのように、どこからお話したらいいのかも、混乱して
少しおかしくなっている。
八戸を出て、盛岡へ向かう車中、
あまりに白く光る外へ目を転じると、
雪が!しかも豪雪!
雪が出迎えるとは。。。
仙台に着くと、今度は虹がお目見えした。
乗り継ぎの電車は超満員。
私は立って、越後湯沢へ。
古い日本家屋が見える。歴史を感じる街道。
レーシングスキーをしていた頃、よく通った道を見つめて、
懐かしさを覚える。 若かった私。
直江津までは指定席だったので、座ってずーっと車窓から眺めていた。
新潟は河が多く、河に並行して道路が続き、その道路の真横は山並みが続いている。
新潟の特徴的地形だ。
豪雪地帯ならではの建築様式の家が並ぶ。
地面から数メートルもコンクリートの基礎が見える。
どんな人が待っているのだろう?
直江津駅は、横殴りの雨だった。
細かい雨が、駅や駅前広場をはげしくなぶる。
私は小さなスーツケースをゴロゴロ引いて、
駅レンタカーへ向かった。
お借りする車についてと、糸魚川方面への道順について伺い、
案内の方と一緒に外へ出ると、
さっきまでの激しい雨は止み、
曇り空へと変わっていた。
これで濡れずに済みました、ありがとうございます、という気持ちを
空を仰いでお伝えした。
小さなナビ付きの車に乗り、行く先をナビに入力。
海沿いの道を選択して、さっそく走行してみると、
見えてきた日本海は大荒れだ。
波は、私の目線と同じくらいに、いやきっともっと高く、
その大きな手を岸辺へサバンと振り下ろした。
海沿いの道は、通行止めになっていた。
高速道路の方へと道を戻る途中、親鸞上人ゆかりの公園を通った。
綺麗なところだな、と感じた。
雨がまた降ってきた。
到着したところは、晴れたら美しいであろう日本海と、
小さな神社のある弁天島が目の前の漁村だった。
道に迷い、入ったところには、白山神社という美しい神社があった。
もうすぐ着く。
ほんとうに海のそばに、そこはひっそりと建っていた。
小料理屋の看板と布がかかった小さな家、そこに母はいる。
小さな玄関のベルを鳴らし、出てきたのは21年ぶりに再会する母だった。
瞳の大きく、きりっとした顔立ちはそのままで、
だいぶ年をとった感じがするが、以前と変わらぬ様子の母だった。
「よく来たねぇ。さぁ上がって。」
嬉しそうな母は、私を抱きしめたかったに違いない。
私は応じる余裕はなかったから、抱き合いはしなかったが。
「来る前に、すんごく雷が鳴ってさぁ、すごかったんだよぉ。
大丈夫か心配だった。」と、お茶を準備しながら話す母の声は、
気持ちが高鳴っているのがわかった。
「そうでしょ、きっと雷さまが挨拶にきたんだよ。」って言ったら、
笑ってた。
到着したのが3時頃。
そのまま夕飯の時間6時くらいまで、ひっきりなしにしゃべっていた母。
何 か を 、必 死 に 、しゃべっていた。
うんうんと聴き続ける私。
私は、今日のこの日のために、カウンセリングの技術を学んだんじゃないか?と
思わずにはいられなかった。
そして、この技術はとても役に立っていた。
ブログネタが、降りてきません。。。
が、お盆休みに、両親や親戚と会って、
古き友人に会って、
どこかで感じた焦燥感なるものが、
あった人もあるのではないな?と想い。
私が2009年に書いた、30数年ぶりに会いに行った実母と
自分で作っていたであろう、呪縛から解き放つまでの物語を
再度ここで、披露することにしました。
☆∮。・。・★。・。☆・∮。・★・。 ☆∮。・。・★。・。☆・∮
2009年11月26日のブログ「ゆずりは~子想~」記事より
39歳の私のテーマは、「手放す」だ。
自分自身の過去で、自分を縛り付けていた。
そこにしがみついていないと、自分の生そのものが危ぶまれていたからなのか?
ただ、悲劇を嘆くヒロインになりたかったからなのか?
34年ぶりに、生みの母親に会いに行った。
お守りに、龍の形をしたネックレスを、友人にいただいた巾着袋に入れて。
東京にいた時に、一度会っている。そのときから数えたら21年ぶりになる。
11月21日土曜日、新幹線に乗り込んで、
大宮で越後湯沢まで、越後湯沢から直江津まで、直江津からレンタカーで糸魚川までの道のりは、とてもとても遠かった。
今私は、まだ気持ちの整理がついていない。
だから、旅行会社の日程表みたいにしか、書けないでいるし、
人にもどのように、どこからお話したらいいのかも、混乱して
少しおかしくなっている。
八戸を出て、盛岡へ向かう車中、
あまりに白く光る外へ目を転じると、
雪が!しかも豪雪!
雪が出迎えるとは。。。
仙台に着くと、今度は虹がお目見えした。
乗り継ぎの電車は超満員。
私は立って、越後湯沢へ。
古い日本家屋が見える。歴史を感じる街道。
レーシングスキーをしていた頃、よく通った道を見つめて、
懐かしさを覚える。 若かった私。
直江津までは指定席だったので、座ってずーっと車窓から眺めていた。
新潟は河が多く、河に並行して道路が続き、その道路の真横は山並みが続いている。
新潟の特徴的地形だ。
豪雪地帯ならではの建築様式の家が並ぶ。
地面から数メートルもコンクリートの基礎が見える。
どんな人が待っているのだろう?
直江津駅は、横殴りの雨だった。
細かい雨が、駅や駅前広場をはげしくなぶる。
私は小さなスーツケースをゴロゴロ引いて、
駅レンタカーへ向かった。
お借りする車についてと、糸魚川方面への道順について伺い、
案内の方と一緒に外へ出ると、
さっきまでの激しい雨は止み、
曇り空へと変わっていた。
これで濡れずに済みました、ありがとうございます、という気持ちを
空を仰いでお伝えした。
小さなナビ付きの車に乗り、行く先をナビに入力。
海沿いの道を選択して、さっそく走行してみると、
見えてきた日本海は大荒れだ。
波は、私の目線と同じくらいに、いやきっともっと高く、
その大きな手を岸辺へサバンと振り下ろした。
海沿いの道は、通行止めになっていた。
高速道路の方へと道を戻る途中、親鸞上人ゆかりの公園を通った。
綺麗なところだな、と感じた。
雨がまた降ってきた。
到着したところは、晴れたら美しいであろう日本海と、
小さな神社のある弁天島が目の前の漁村だった。
道に迷い、入ったところには、白山神社という美しい神社があった。
もうすぐ着く。
ほんとうに海のそばに、そこはひっそりと建っていた。
小料理屋の看板と布がかかった小さな家、そこに母はいる。
小さな玄関のベルを鳴らし、出てきたのは21年ぶりに再会する母だった。
瞳の大きく、きりっとした顔立ちはそのままで、
だいぶ年をとった感じがするが、以前と変わらぬ様子の母だった。
「よく来たねぇ。さぁ上がって。」
嬉しそうな母は、私を抱きしめたかったに違いない。
私は応じる余裕はなかったから、抱き合いはしなかったが。
「来る前に、すんごく雷が鳴ってさぁ、すごかったんだよぉ。
大丈夫か心配だった。」と、お茶を準備しながら話す母の声は、
気持ちが高鳴っているのがわかった。
「そうでしょ、きっと雷さまが挨拶にきたんだよ。」って言ったら、
笑ってた。
到着したのが3時頃。
そのまま夕飯の時間6時くらいまで、ひっきりなしにしゃべっていた母。
何 か を 、必 死 に 、しゃべっていた。
うんうんと聴き続ける私。
私は、今日のこの日のために、カウンセリングの技術を学んだんじゃないか?と
思わずにはいられなかった。
そして、この技術はとても役に立っていた。