秦氏は日本に無くてはならない

偉大な存在です

世界に散った縄文人が

ユダヤ人として日本に

戻ってきたようです

 

 

 

 

 

百済からの帰化人、秦の始皇帝の子孫、はたまたイスラエルからやってきた異邦人と、そのルーツはさまざまな謎の渡来人秦氏。建築技術、養蚕など高度な文化を持ち、平安京の造営にも深くかかわりました。そして、聖徳太子のブレーンでもあった秦一族ですが、いつの間にか歴史の表舞台から姿を消しているのです。今でも秦氏については謎に包まれたまま。そんな古代史ミステリーを追って、京都の秦氏にまつわる史跡を巡りましょう。

 

 

 

太秦といえば映画村でおなじみの場所です。この太秦という文字を見てみると、そこに秦氏の「秦」の字!秦氏はこの太秦を中心として、活躍していたようです。

太秦の地名の由来は、秦氏(秦酒公)がヤマト政権に税を納める際、絹を「うず高く積んだ」ことから、朝廷より「うずまさ」の姓を与えられ、これに「太秦」という文字を当てたとか、聖徳太子の「太」+秦氏の「秦」で「太秦」にした、古代ヘブライ語の「ウズ」(光)「マサ」(賜物)が語源であるなど諸説あります。

 

 

住宅街の中に古墳が!秦氏の首長墓と言われている「蛇塚古墳」

住宅街の中に古墳が!秦氏の首長墓と言われている「蛇塚古墳」

 

 

京福電鉄「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅で降りて徒歩7分ほど。しばらく住宅街が続きますが、その住宅街の中に、フェンスで囲われた「蛇塚古墳」があります。こんもりと盛られたかわいらしい古墳ですが、意外と中は大きな横穴式前方後円墳!(運が良ければ、管理人さんがご近所にいますので、フェンスの鍵を開けて中へ入れてくれることもあります。普段は施錠)フェンス越しでも十分、岩肌などが見て取れます。

 

全長約75m、石室の全長は17.8m、玄室は奥行き6.8m、幅3.8m、高さ5mと京都府下では、最大規模を誇る古墳。石室内に蛇が棲息し、岩の間から出入りしていたため、「蛇塚古墳」と呼ばれるようになりました。この古墳が秦氏の墳墓とされています。ちなみに「天塚古墳」(京福電鉄「蚕ノ社(かいこのやしろ)」駅下車)も秦氏一族の墓とされており、秦氏の勢力を知る大きな手掛かりとされています。

 

 

6~7世紀ごろの古墳時代には多くの古墳が造営されました。中でもこの辺り一帯のものは「嵯峨野太秦古墳群」と呼ばれています。宅地開発などで多くの古墳が埋設されてしまいましたが、蛇塚古墳以外でもまだ見ることのできる古墳は多数あります。古墳巡りだけでも面白いかもしれません。

 

秦氏の氏寺「太秦広隆寺」と「いさら井」=イスラエル!?

秦氏の氏寺「太秦広隆寺」と「いさら井」=イスラエル!?

 

広隆寺といえば口もとに微笑みを浮かべた表情のアルカイックスマイルでおなじみ、「弥勒菩薩像」のあるお寺です。またの名を「秦公寺(はたのきみでら)」「太秦寺」とも言い、秦氏の氏寺。7世紀始め、秦河勝(はたのかわかつ)は聖徳太子に仕え、聖徳太子から仏像を賜り、そのご本尊として建立しました。お寺としては京都最古と言われており、霊宝殿には弥勒菩薩以外にも聖徳太子像、秦河勝夫妻の像も安置。秦一族の顔が少しみて取れるので、どこからやってきた人なのか、想像を巡らせるのも楽しいでしょう。

また以前は広隆寺内にあった井戸「いさら井」。今は近くの民家に移設してしまいましたが、その井戸に「いさら井」としっかり掘られています。水は禊ぎや清めのために使われることも多く、生命の維持にも欠かせません。そんな水を湧き立たせる井戸は、聖なる場所だったのでしょうか。いさら井がイスラエルだとしたら秦氏とは…謎解きがますます楽しくなってきますね!

大酒神社には秦の始皇帝が祀られている!?以前は広隆寺内にあった「大酒神社」。神仏分離令によって広隆寺から数百メートル離れた、現在の場所に移動しました。しかしこの神社は広隆寺建立よりも古く、秦始皇帝の子孫功満王が大酒明神を祀ったことが始まりと言われています。その後、秦氏が氏神としたのだとか。昔は「大辟(避ける)」とも書いていて災難除けや、道祖神でもあったと言われています。

秦始皇帝、弓月王(ゆみづきのきみ)、秦酒公が本殿に祀ってあり、秦の始皇帝の登場です!秦の始皇帝の14世の孫「功満王」は、中国の戦乱を避けて日本にやってきました。そこで始皇帝の加護を願うために立てたのが、この大酒神社です。

そして今度は功満王の子「弓月王」が大勢を率いて帰化し、天皇に宝物を献上。さらに弓月王の孫「秦酒公」が、秦氏一族を率いて養蚕から絹を生み出し、その他多くの技術や文化を広めて日本に貢献。それが先ほどの「太秦」の由来へとつながったり、酒公を称えて大辟から大酒神社へと変わった理由です。

 

 

蚕ノ社の「三柱(みはしら)鳥居」は、パワースポット!

養蚕や機織りの技術をもたらした秦氏と、いかにも関係のありそうな名前ですよね。京福電鉄「蚕ノ社」駅を降りて徒歩5分ほど。木嶋坐天照御魂神社の中にある「養蚕神社」の別名です。蚕養・織物・染色神である萬機姫(よろずはたひめ)を勧請。

そしてここはなんと言っても「三柱(みはしら)鳥居」が見どころです。木嶋神社の鳥居をくぐり進んでいくと、奥に鬱蒼と茂る森があります。そこだけ何となく、空気が違うような感覚さえあります。三柱鳥居はそこにありますが、ここもまたフェンスで仕切られていて、近づくことはできません。でも異彩を放っているのは確か。この鳥居、これもまた諸説ありますのでご紹介しましょう。

境内にある説明では「中央の組石は御神座で宇宙の中心を表し、4方向から拝することができるよう建立された」とありながらも、「景教(キリスト教の一派)の遺物とも言われている」とありました。
 

三柱鳥居の三方がそれぞれ秦氏と関係のある「下鴨神社(秦氏と賀茂氏の関係)」「伏見稲荷神社」「松尾大社」(どちらも秦氏が建立)の方向を示しているとか、キリスト教の「三位一体」、「ユダヤ教のダビデの星に似ている」などなど、ミステリー好きにはゾクゾクさせる逸話ばかり。パワースポットとしても名高いので、宇宙のパワーを頂きながら、謎解きにふけるのも面白そうです。