こんにちは




あっという間に3月で、

しかも、もう、1週間近くが過ぎている。





京都にお参りに行ったりして、

過ごしていました。




昨日の夜、のどがとっても詰まった感じがして。

そこと話してみたんです。

え・・?昇天





やって来たイメージと対話をしていると・・、

つまりが取れた。





今日お友だちと話していて、

その続きの話をしたみたいで、

すごく不思議な感覚がやってきました。





自分の奥の奥で感じているもの。





そんなことないもん、と頭はずっと言っているのですが、いえいえ、そんなことはありません。






しっかりと家族に囚われて生きてきた自分を

実感したのでした。




生い立ちがどうであれ、気にしない。





わたしには、そんなの関係ない。




捨てられようが、

父親が何人いようが関係ない。




親だって、好きに生きたら、いいんじゃない?




お母さんがどうであっても気にしない。




わたしはわたしで、しあわせになるから。





お父さんのようにもお母さんのようにも、

ならない。





しっかり、親をディスっていたのでした。





いいんだ、お父さんのようになっても。




いいんだ、誰のようになっても。





夕方、ひとりで買い物に出かけた。

近くのスーパーまで、歩いた。




深いブルーに近づいていく青と、ダイヤモンドみたいに輝く星が2つ、夕日が落ちていく優しいオレンジの空をみて・・




これ、作り物じゃないんだよなって思った。





誰でもない自分になる時間が、

わたしを自由にしてくれた。





本当に深いところで、

安心感を感じるのはそんな時。




誰かといるから、

お金があるから、

これこれだから。




外側の◯◯に安心してるのは、頭。




独りの時間がくれる、

孤独と、それからやってくる、

この上ない安心感。




わたしは、この時間がすきなのだな。




わたしには、ずっとわたしがいてくれた、

と感じることができる。




『お父さんのように、なってもいい。』

ということばが浮かんだ。








母をおいて(この表現しか今は見つからない)

しあわせになってもいいのだ。




裏切り者と、母は言った。





その時は、ふざけんな、と思った。

どっちがやねん、とか、色んな気持ちになった。

しかし、そういうだろうとわかっていた節もあった。




でも、事実は、

わたしはそれを、

聞いただけ。




なのだ。






お母さん、
育ててくれてありがとう。




・・・・・・・・・



ますますシンプルに健やかに
こころ豊かに生きていけますように。