こんにちは





車走らせて、

夫とコーヒー豆を買いに行きました。





たっぷり450gも買って、ホクホクしていますニコニコ


キレーに撮れた!






本当にしたいことというのは、隠れていて、

というか自分が隠していて、それにたどり着くまでに、それに手をつけようとするまでに、いくつもいつくもやるべきことがあったりするものなのだと、わたしは父との再会でそれを知りました。





考え得るダメージは、沢山あって、





・自分が本当に自分が必要なかったということをまざまざと受け入れなくてはならない。

・永遠に実の父親を知ることが叶わない。

はたまた会えたとして、

・新しい家族との光景を受け入れなくてはならない

・自分には得られなかったそれを、自分の父親と経験している家族がいることを受け入れなくてはならない


他にも沢山、自分が諦めたものを、自分の父親と得ている存在がいる。






他人に羨ましいと思う気持ちはあまり持たなかったけど、『わたしのお父さんと』というところには、どうしても向き合うことが難しかった。




めんどくさすぎる。

メンタルダメージのリスクが大きすぎる。




そうして、避けていた。




そして、ないことにしていた。





でも、時は来てしまって、たくさん自分の中にスペースを持って、挑んだ(笑)父との再会は、呆気なくて、思ったより複雑なものが隠れていて、わたしを大混乱へと貶めた。




嬉しさと苦しさと羨ましさと悔しさと色んな気持ちが入り混じったあの時を、励まして共に過ごしてくれたみんなにはいつまで経っても、ウザがられても心からの感謝を申し上げます。





何が言いたいかというと、本当にしたいことに気づくには、心の強さが必要で、それは一足飛びには行かなくて、そのことが動くためには、核心に触れるには(言い方あってるかな?)準備の要することがあるということ。





だから、本当にしたいことはなんだろうと考えるのもいいのだけど、今この瞬間を懸命に過ごしていれば、存在が必要とすることをやっていった先に、時は来る。のかもしれない。





自分で掴みにいくのも、必要な時もあるのだけれど。







この美しいボトルに初めて出会った時、自分の中にこんなにも沢山のことが眠っているなんて思いもよらなかった。







自分を生きるのだと決めた時、まだまだこんなにも自分の思いに蓋をしていたなんて知らなかった。





それくらい、本当の思いを知るというのは、パワーが必要なのかもしれない。






たった今、したいことを自分にさせてあげていくことだけが、自分の内に眠る『本当にしたいこと』に自分を連れていくのだと思うな。






しらんけど昇天





・・・・・・・・・・・・・・




お友だちのInstagramの投稿で、

『日曜日に家族でファミレスに・・』という文面があって、思わずコメントをした。




わたしも、

家族でファミレス、憧れだったから。




しかし、望むことすらしなかった。

思うくらい、いいのにね。

だけど、得られないのだものどうやったって。




得れないものを望むのは虚しい。
悲しさが込み上げる。
そして、現実を思い知る。
だから、強さと勇気がいる。





そして、父を探す前の自分の気持ちを思い出した。





色んな内面的なアプローチを続けて、父親に捨てられた、を全面的に受け入れることが出来た一連を思い出した。







わたしって焼き鳥屋さんも、ラーメン屋さんも、わりとどこにでも一人で行けるのに、ファミレスだけには行けなかった。





家族がいないからだった。

お父さんを知らないからだった。

無意識にずっと、『捨てられた』わたしを生きていたからだ。





お父さんがいなくても、と懸命に生きていたわたしの土台には、いつもいつも『お父さんがいなくても』が幅を利かせていて、





それについて悲しむことも、寂しさを感じることも、自分には許してきていなかった。





強く生きなければいけなかったから。





だけれど、得られるはずのものなど、この世界にはないのだ。





あるのは、あるものだけ。

与えられたものだけ。





そこには、

捨てられたという悲しさがあった、

悔しさがあった、寂しさがあった。





お父さんがいないという毎日があった。





それと同時に、母や友だちと過ごした大事な毎日があった。





これをもう一度受け入れるまで、2年半という時が必要だった。





母を、ケア出来る存在でもないくせに、自分に出来るはずもないことをしようていたのは自分だ。





自分が生まれたことが間違いだったと思っていたのも自分だ。





バカだった。





母は、産みたくて産んだのだ。




母には、父と結婚して、娘を産む、愛した人の子をもち暮らすという悦びがあった。





悲しみも喜びも携えて、そうして人は前に進んで生きていく。







そして、わたしはもう大人だ。

わたしはわたしとして、存在しようと思います。

わたしはわたしの人生を作っていこうと思います。





そんな、月曜の徒然。





(元気です!ニコニコ




いつかのバラ。






・・・・・・・・・・・・・・・・





ますますシンプルに健やかに

こころ豊かに生きていけますように!