こんばんは
自分の感情を、
自分のことを上手く表現出来なかった時
感じることができなかった時。
特に悲しいことを、
嫌だということを、怒りを・・
感じてはいけない、思ってはいけない。
わたしには傷つく権利も、
しあわせに暮らす権利もない。
(え・・?)
こんなことぐらいで泣いてはいけない。
可哀想って思われてしまう。
責めてるって思わせてしまう。
困らせてしまうから、
悲しませてしまうから・・。
こんなことが起こっていた・・。
ホラー・・。
感情ってどれかひとつだけを感じないようにするっていうことはできないそうで、
悲しいや怒りを感じないようにすれば、
喜びのところも同じくらいそうなる。
ガジュマルくんの新しい葉っぱ出てきてます。
被害者ということばの持つイメージが、
その感情の持つイメージが、そのことばのイメージが、『それ』を感じること、表現することを難しくしているんじゃないかなって思って。
思考が現実化するとか、引き寄せるとか・・
色んな知識が身について、
さらに色んなことがさらにそれを感じないように、思わないようにしなければ・・
感謝しなければ・・
本当に引き寄せられるのは、受け取るのは、
本当に感じていることの方、
ハートから放っているものの方。
ハートにパンパンに重いアレコレが溜まっていては、いくら頭でいいことを考えても、放ててないのです。
だから、被害者意識とかそんな言葉にとらわれないで、どんなこと感じてるのか、しっかり感じてみた方がいい。
一旦そっちを感じてしまった方が楽になる。
ひと時、苦しくても。
そうする方が色々を受け止めていけるようになるし、ハートにスペースがうまれることで、心地よさがやってくる。
いや、いいとこもある、中々頑張ってる、いや・・めちゃくちゃ頑張ってるよね。
なんていう風に思えてくる。
そして、自分は自分をどんな人だと思ってるのか・・
これからはどんな風がよくて、
何を大切にしたいのか・・
何を選択していくかは、そこからで、
同じ現実の中で、何を残したいのか、
何がもう不要なのか、
何を感じていきたいのか・・
そういのは、
いろんなことばのイメージを超えて、
そうだな、『ありのまま』を受け容れてこそ、選んでいける。
次に選ぶ場所だって、『世間のよきや、憧れ』を
ムリに望まなくてもよいのですから。
そこは、貧困でも、不幸な場所でもない。
そんなこと考えるなんて・・
わたしは別に被害者になりたいわけじゃないとか
そんな色々を超えて、
まずはそのままを、感じてみること。
そして、それは勝ちでも負けでもない。
それにその名前をつけたのも、
下や上、優劣、よきもの、悪・・
そしてさらにはそのものの持つイメージまで。
全て人間が決めたこと。
当たり散らすのはNGです
ですが家族は犠牲になる・・。
そんなものです・・。
ことばの持つイメージにとらわれないで、
感じていたい。
自分の好きなもの選んでいたい。
そのひとときは、もう永遠に来ない。
あの寒い冬も、暑い夏も、紫陽花の日も
笑った日も泣いた日も。
いつも一緒だった日も、
一人になった日も。
あらゆる経験を通して、
わたしたちはそれを感じてみたかった。
だから感じてみよう。
そして、自分を出来る限りしあわせに。
わたしたちが放つそのしあわせの粒こそが、
きっと地球を平和にする。
ますますシンプルに健やかに
こころ豊かに生きていけますように。