こんにちは、ももこです。






まだ綺麗に咲いてた!





講座やセッションの目的って、





その人の力を最大に引き出すことだし、

ここから先、しあわせな暮らしを自分でクリエイトしてもらうためのもの。






わたしは、

そのために寄り添うつもりでいますにっこり





わたしが長らく『癒し』の期間を彷徨ったのは、わたしの癒しのイメージって、優しく守ってくれるような・・ただそれだけでこれからがただ良くなっていく。みたいな、そんな淡い期待を抱いていたからなのかもしれません。






何をしてるかわからなかったから、セラピストさんって傷を癒してくれる存在だと思っていたし、わたしのこと、深く傷ついたことなんかを理解して、わかってくれて、ただ優しく寄り添ってくれる人、なんだと思ってた。

そういう人もいるかも。

それぞれの優しいの定義によって違ってきますが!





今ならわかる。

それって、全然違った・・。煽り





わたしはきっと、わたしの求めた『癒し像』を探して彷徨ってたんだ!




いちばん大切なのは、クライアントさん自身が自分自信のいちばんの味方となること。

自分を信じる力を取り戻すこと。

これから先、自分のしあわせな人生をクリエイト出来る力を養うこと。





間違っても、こちらが勝手に“可哀想”に思い、憐れんで何かをするなんてことは全く優しさではないと今ならわかる。




そんなことは、大切なクライアントさんの力をみすみす奪うことになるのだから。






そんなの!

だめ!絶対!!!である。





こちらが可哀想だとフォーカスを向ければ、ますますそこにフォーカスがかかり、“可哀想なその人”の存在が増していくことになる。





フォーカスした先が大きくなり、放ったものが返ってくる。




これがこの世の仕組みだから。





もし心の傷なるものがあるのであれば、それをどうにかするのではなく、それそのものと力強く、しあわせな人生を歩めるように励ますこと。

適切な治療、ヒーリングは利用しながら。




自分を肯定する力を取り戻してもらうこと。




何よりも自分自身が、自分の大切にしたいことを大切にできる在り方を見つけてもらうためだから、そのためには、その場凌ぎの甘い言葉は不適切だったりするのだ。






例えば自分の大切な気持ち、大切なものがあるのなら、どんな相手にも屈しない力とか。





自分のしあわせには自分が責任を持つのだという態度、そしてその『しあわせ』を体現することとか。




そして、そこに対する積み重ねが満ちた時、




見えざる手は、そんなあなたをみてどんどんどんどんしあわせをよこしてくれるようになるのだと思う。




なぜなら、理由は至ってシンプルで




フォーカスした先が大きくなり、放ったものが返ってくる。




だから。




これが、

自分の思考と感情に責任を持つということ。






自分が自分を心から大切にして、しあわせにすることが出来た時、ますますのしあわせが流れ込んでくる。




そのことに向かう力を思い出すと決めてはじめて、しあわせな未来のためのパワーが発令するのだ。




そのためには、先ずはどんな自分も自分が受け止める。




これが出来なければ、自分は疎か、周りを本当の意味で尊重することは出来ないだろう。





誰かわたしのことをわかって!しあわせにして!という在り方が、自分をしあわせにするはずなどないのだ。





ついこないだまでのわたしのように。

いや、きっと今もまだ残ってるな・・。






無意識の復讐心が発動していて、無意識に周囲をコントロールしてしまうのだから。





許してなるものか。

誰かわたしをしあわせにしろ、と。




不安





ホラー!!!驚き





今、みんなと源意識のレッスンの復習やってて、やっぱりじわじわ効いてくる。




このレッスンがなければ、多分いつまでも気づけてなかった気がする・・。





そして、今までわたしを励まし時には厳しくいや、とっても厳しい時もあった泣き笑い

わたしというシステムの理解に注力してくださったたくさんの方に頭が下がる気持ち。





誰もどれも大切だったけど、わたしにとって大きな体感と気づきをくれた毎日のレッスン。




このレッスンを届けてくれた美澄さくらさんが、しばらく最後になる継続講座を開催されます目がハート飛び出すハート







損得じゃないけど!

受けた方が得だと思いますニコニコ





自分をわかってくれる人などいない。

優しく近づいて来てくれたって、

きっと誰もわたしのことはわからない。




全然、世界を信じてなかった。



それはすなわち、自分を全然信じてなかったということだし、愛していなかったということだ。





自分が自分の味方にならずして、

誰もわたしの味方になることはできない。



そうでなければいつかま、味方になってくれたその人にさえも敵だと感じてしまうから。煽り




今日からはそれでもなお、働き続けてくれているわたしという存在に、ありがとう!




ますますシンプルに健やかに、

心豊かに生きていけますように。