こんばんは
今日もブログにご訪問くださり
ありがとうございます☻
レモンビールと唐揚げで
土曜の夜を楽しみました♡
さて、
これからすこし、プロフィール的な、
わたしのこれまでのことを
書いてみようと思います。
1985年7月16日生まれ
ハタチの両親の元に生まれました。
現在は9つ離れた夫と2人で暮らしています。
隣はいとこのしんちゃん 笑
だから誰?←
立派な雛人形を与えられ、
謎のチャイナ服を着た写真が
テレカになっているあたり、
わりとチヤホヤされとった感、、笑
2歳半くらい?の頃
両親が離婚しました。
両親がいることや
親から愛されること、
家族と旅行に行くことや、
笑い合えること
何かを持っていないと
しあわせでないというならば、
わたしは完全にそれからはずれていました。
父親からは捨てられた、もとい
愛されていないと聞かされていたし、
実父の名前も顔も知らずに育ち、
一緒に過ごした記憶は
わすがにもありませんでした。
上の写真は
大人になってから、母に貰いました。
本当のお父さんだと思っていた人が
実は2番目のお父さんだと知ったのは、
小学3.4年生くらいのこと。
母と叔母の話から
偶然、たまたま知ってしまったのでした。
3人目の父親とは
関係性もうまく築けませんでした。
キライだった。
やっと離れて暮らせたのは、
中学1年生の時でした。
中学3年生のクラスは
楽しかったのを覚えています。
わたしの通っていた中学校は
とにかく合唱に力を入れていた記憶があって、
偏った記憶だと思うんだけど、、笑
めっちゃ、うたってた
校歌とか今でも歌えるくらい
染み付いてる。
音楽の授業の始まりは校歌やった気がする、、。
どうでもいいか。←
高校に入ってバイトを始めてからは
わりと楽しく暮らしていました。
ハマってたのはプリクラ
授業中にプリクラ帳回してたり、、
プリクラに関してはツッコミどころしかない。
高校を卒業してからは
介護の仕事を一年。
それから
医療事務の勉強を数ヶ月して、
クリニックでバイト。
その後、急性期病院で
本格的に医療事務のお仕事が始まりました。
社会人になってから
数年経った頃、
仕事も恋愛も
ことごとく上手くいかなくなり、
2人で暮らしていた
母親との関係も
母子家庭を援助してくれていた叔父の
病気による急な他界をきっかけに、
我慢の限界を迎え、
生活費7万円を言い渡されたのを機に
一人暮らしを始めました。
その結果、
縁を切ると言われたのでした。
つづく。