母と私はとりあえず


すぐにでも住める


小さな小さなボロアパート


暮らすことにしました。。。


そこは私達の住んでいた家の


駅を挟んだところでした。


母は私の学校のこともあり


通学範囲内にしたのでした、、、


そこは玄関が一つしかなく


トイレは共同で水洗ではなく


ボットン便所でした。。。


お風呂もなく


私達は近くにある銭湯にいきました。


部屋は6畳ほどで申し訳ていどの流しがあるだけで


そこでの食事は


もっぱらコンビニ弁当でした。。。


そして一階の部屋だったので


「女の2暮らしは危ないから」と


昼でもカーテンを閉め切っていました。


薄暗くて、ひもじくて、


毎日男に見つかるんじゃないかと


怯えながら私達は生活していました。。。


母は夕方になると


いつものように化粧をし始めました


私は母が仕事に行ってしまうと


テレビもなくなんの音もしない部屋で


「怖いマンガ本」を読んで過すのでした。。。


そしておしっこをしたくなると


コンビニでもらった手提げのビニール袋を広げて


そこにおしっこをしました。。。


夜になると


共同トイレにゴキブリやら


わけのわからない虫が出てきて


怖かったのです・・・・


私は異常なくらい虫嫌いです


その原因は過去にあります。。。







母は一刻も早く



この男と離れなければ


親子共々殺されてしまう!



と思ったのでしょう



母は逃亡計画をたてました。


「いい?ちーちゃん、パパちゃんが出掛けたら


ランドセルに教科書を全部入れるのよ。」


「筆箱も学校で必要なものはぜ~んぶ、入れるのよ。」



「なんで?」


「これからふたりきりで暮らすからよ。」




「やった~!きゃぁ~私は喜びました。


もうこれ以上母の痛めつけられる姿を


見たくなかった私にとって



二人きりの生活はとても



嬉しいことでした。。。




母と静かな生活をずっと夢みていたのです。。。






母と私はいつものように


テレビを見て平静を装いました。


そして男が



「俺、ちょっと出掛けてくるわ」と言って


出掛けて行きました。


バタンとドアが閉まり、



そ~~~っドアを開け


男の姿が見えなくなったのを


確認した母は


「ちーちゃん行くわよ!」と合図しました


その言葉を聞いて


急いで支度を始めるのでした。。。


まだ幼い私は


手際も悪く、、、


沢山の荷物を持つことができなっかったのですが


このときは


一人前の大人程度の力がみなぎって


いくらでも持てる気がするのでした


でも所詮子供、、、


いくら頑張っても


焦れば焦るど


身体はいうことをきかず


バイクで逃走する時に


荷物を落としたり


座り方が悪くて


落ちたりしたのでした、、、


膝を地面について血が出ても


地獄のような生活から


抜け出られると思えば


自然と痛みも感じなくなるのでした。。。



男は落ち着きがなくなり



いきなり叫んだりするようになりました



口の端にはいつも泡を溜めて



目は血走り



私や母に



「警察が隣まで来ている!」



とわけの分からぬことを言うのでした。


その内



母に「オマエ!浮気してるだろ!俺にはわかるんだからなっ!」


と言っては母を殴り蹴りあげました。


母も気性が荒いので



ガラスの灰皿を男の頭に投げつけ



流血する喧嘩になりました。


ある日



いつものように喧嘩が始まり


男は台所にある


包丁を手にしました。



「オマエを殺して俺も死ぬ!」


母は「ヒィーッ!」と腰を抜かし

立てない様子でした。


男はどんどん母に近付き



刃の部分を上にしました。


まだ7歳の私にも

母の身の危険が迫っていることを理解したのでしょう


私は「ママちゃんを殺すなら私を殺して!」と泣き叫び


母の前に立ちはだかったのでした。



母しかいない私にとって



母が死ぬことは


私にとってのだったのです。


今でもその記憶は鮮明に覚えています。


思い出すだけでも



ゾッとします。。。


男は私のそんな姿を見て



我に返りました。


でも、母はその時


「この男と別れよう」と



固く決心したのでした。。。


それはある夏の日でした。



男は頻繁に水を飲むようになりました。



その飲み方は尋常ではなく



一気に1リットルは飲むのです。





もともとデブで糖尿病の気があり



普通より水を飲んでいたけれど



やはり異常な飲みっぷりでした。





そして



男は汗をやたらとかくのに



風呂に入らなくなりました。



やがて





寝なくなりました。。。





トイレに入ると何十分も出てこなくなりました。。。





やがてヤクザみたいな人達





出入りするようになりました。





母は「このポンチュウ豚が!!」と男を罵るようになりました。




「ポンチュウ」とは


「覚醒剤中毒の人」を意味する言葉だと


数年して私は知りました。。。


3人で生活するようになり


母とその男は一緒に仕事にでかけるようになった。


その間、私は母の妹の家に預けられることになった。


妹の家は歩いて5分の目と鼻の先程度の距離で


深夜母達が帰宅すると寝ている私を連れて帰るのだった。


でも私は母の元に帰るのが嫌で嫌でしかたがなかった。


母とその男は頻繁に喧嘩をしていて


怒鳴りあい、殴り合い、


母の顔や身体には沢山の痣ができていた。


そんな母を見たくなかった。。。


でも、、、そんな暴力を振るう男でも


母と私の間に溶け込みたかったのでしょう


私の運動会の前日


「俺、ちーちゃんを前で見たいから


今夜から座席取りに並んでくるわ」といって


幼稚園の前で夜を明かしてくれたこともあった。


ある日。。。


母はいつものように台所に立つと突然


「うえぇ~~~~!!」と吐き出してしまった


母はその男の子供を妊娠したのだった。。。


男は勿論喜んだ


母と私の間で疎外感さえ感じていたけれど


子供ができれば本当の家族になれると思ったからだ


でも、、、


母は「ちーちゃんがかわいそうだから。。。」と言って


あっさり子供を堕胎してしまった・・・


それから男は豹変した


ギャンブルで多額のお金を使うようになった


酒も浴びるほどのむようになった


酒に酔っては母を殴っていた


でもその男はどんなに母を殴っても


私だけには指一本触れなかった


私に暴力をふるえば溺愛している母は


別れを切り出すとわかっていたから。。。





母はストレートの黒髪で線が細く


はかなげで


それでいて妖艶な雰囲気がありました。


そんな母がひとりで街を歩けば


周りのほとんどの人が振り向きました。


母は離婚して


私をこれから女手ひとつで育てなくてはいけないのだと


押し潰されそうな不安の中でたどり着いたところは。。。


歌舞伎町でした。


母はどんな人に声を掛けられ


どんなところに連れて行かれたのか


今だに明かしてくれません


でも。。。


歌舞伎町で働くようになった母は


見る見る変貌をとげていきました。


化粧は派手になり


髪は赤茶色のソバージュになり


身体に張り付くような服装をして


週末は田舎の祖母の家に帰ってくるようになりました。


やがて。。。


お金の工面ができたからと


私を引き取りに来た彼女の横には


見知らぬ男がいました。



その人が二番目の父です。


私と母とその男は埼玉にある一軒やに住むことになりました。









それは。。。

2月の雪の降る時期でした。。。

母はまだ幼い私の手を引き

キャリーバッグひとつだけ持って

思い出の詰まった家を出て行きました。

私のおもちゃ

私のブランコ

母と土いじりした庭

あまりにも短い私の思い出の家。。。

不安気に母を見つめていると

母は「大丈夫!ちーちゃんに不自由はさせないからね!」

と泣きながら自分にも言いきかせている様でした。


家は要らないから

慰謝料も要らないから

養育費も要らないから

子供だけは私が育てたい!


母の勇ましい決断を今となっては無謀なことだと思います。

でも、母は外で働いた事で自分に自信がついたのでしょう


離婚後、私は母方のお祖母さんの元に預けられました。

母は「田舎じゃ給料も安いから、都内で働くから。」と言って


幼い私が母と離れたがらないで

泣いている姿を振りきるようにして

東京に飛び出して行ったのでした。。。

ある日のこと。。。

仕事から帰って来た父のワイシャツに

真っ赤な口紅口がついていました。

母は父に「どういうことなの!?」

と凄い剣幕で問いつめました。

父はアッサリ「他に女がいる・・・」と認めました。

何不自由なく裕福な家庭に生まれ

周りからチヤホヤされてきた母にとって

父との結婚は妥協であり

それでも子供の為にと

今日まで我慢してきたのに


他で女を作った父がよっぽど許せなかったのでしょう

母は父に離婚をつきつけました。

父も自分に非があるので反対することできないまま

二人は離婚することとなりました。

母は土地持ちの家庭に生まれました。

その当時、車くるま。Rの整備工場をやっていた実家は

ウマを趣味で買っていたり

カラーテレビテレビもどこの家より早く購入したとのことでした。


それに子供の頃から美しかった母は

皆から羨ましがられる憧れの存在でした。

そんな母ですから、

当然父との結婚は

貧しくて息の詰る生活だったのでしょう。。。

母は手始めにパールをくじ引きで当たったように

見せかけて、割引で安く買えると言う

インチキ臭い販売をしました。

そんなインチキ臭い商売でも

当時はキャッチセールスなど無かったので

母の売り上げはウナギ登りに伸びていき

いつしか父の収入を上回る程になりました。。。

当然、母は「稼ぎもないくせに!」

二言目には父に言うようになり

夫婦の歪みは広がっていきました。

父は外で愛人を作るようになりました。

毎日子育てと家事に追われ


家を守るという生活に


いつしか母は嫌気が差してきたのでしょう。。。


私が3歳になったある日のこと


「私、、、働きに出たいの!」と父に言い出しました。


父は自分の安給料では生活が苦しくて


子供の栄養もとれないことを理解して


母が勤めにでることを渋々承諾しました。


このことが母と私の人生を狂わせるなんて


誰も予測できなかったと思います。。。