「やわらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」(石川啄木)

 

「やわらかく柳の芽が青く色づいた北上川の岸辺が目に見えるようだ。いかにも思郷の涙をさそうかのように。」というのが一般的な解釈だ。

北上夜曲

https://youtu.be/TMDNIUtacC0?list=RDTMDNIUtacC0

 

1          匂い優しい 白百合の

濡れているよな あの瞳

想い出すのは想い出すのは

■北上河原の 月の夜

 

2          宵の灯(ともしび)点(とも)すころ

心ほのかな 初恋を

想い出すのは想い出すのは

■北上河原の せせらぎよ

 

3          銀河の流れ 仰ぎつつ

星を数えた 君と僕

想い出すのは 想い出すのは

■北上河原の 星の夜

 

4          雪のちらちら 降る夜に

君は召されて 天国へ

想い出すのは想い出すのは

■北上河原の 雪の夜

 

5          僕は生きるぞ 生きるんだ

君の面影胸に秘め

想い出すのは想い出すのは

■北上河原の 初恋よ

 

■北上夜曲の作詞者は、岩手県江刺市出身の菊地規(のりみ)、作曲者はその友人の岩手県種市町出身の安藤睦夫である。

 

■昭和36年に雑誌『サンデー毎日』に作者不明の愛唱歌として紹介されたことをきっかけに、作曲者の安藤睦夫氏が原作の名乗りをあげ、ビクター、キング、東芝など6社からレコード発売、日活など3社による映画競作など一大センセーションを巻き起こした。

 

■作詞者の菊地規は、大正12年、江刺郡田原村原体(現奥州市江刺区田原)に生まれた。水沢農学校在学中から詩作をはじめ、友人たちと同人誌を発行するなど創作活動をしていた。

 

■当時、水沢農学校には安藤清蔵少尉という配属将校がおり、菊地規と安藤とは同じ下宿に住んでいた。この将校が安藤睦夫の叔父にあたる。旧制八戸中学の生徒であった睦夫は、叔父の下宿を訪れて規と出会い、二人は意気投合。歌を作る約束をした。

 安藤に曲をつけてもらうため、昭和15年12月に菊地規が初めて作詞した「北上川のささやき-今はなき可憐な乙女に捧げるうた」と題した歌詞に、翌16年2月、安藤睦夫はこの歌詞の曲作りに没頭。試験勉強がおろそかになり、危うく留年の憂き目を見るところだったという。こうして「北上夜曲」が誕生した。

 

■菊地はその後、盛岡の岩手師範学校に進み、安藤は盛岡高等農林学校進学し、昭和10年代後半に、盛岡で再会する。この二人の再会によって、「北上夜曲」が、まず盛岡の若者たちに伝播され、全国に広まっていったのである。