ムスメの大学入学式に参加して

 40年近く前の自分を思い出しました。

 

 中国兵馬俑展をみたそのときから、わたしはどうしても考古学が学びたくて

 当時、考古学学科があったのは、私の入ったMとK学院しかなく

 第一志望で入学しました。

 いま偏差値をみると、そんなに高くはないのですが

 岩宿発見とか、考古学といえば、Mでした。

 しかも、当時は映画インディジョーンズが大ヒットしたあと。

(入学後、自己紹介するときも、ほとんどの男子が

「インディジョーンズになりたくて入りました」と言っていました。

 同級生の数人はそういった海外の現場にいます)

 合格したときはとてもうれしかったのを覚えています。

 その頃はまだ、偏差値というものはあまり言われていなくて

 MARCHという言葉があったかどうかという時代。

 むしろ6大学であるかどうかのほうが重要だった気がします。

 

 いくつかのブログを拝見していてちょっとびっくりしたのが、

 何を学ぶかより大学名に比重が置かれていることです。

 〇以外は大学じゃないとか、△に入らなかったら、 

 同窓会に行くのが恥ずかしいから浪人したほうがいいとか。

 

 わたしの入った大学の後輩にK成の子がいましたが

 その子はわたしと同じように、あえてMで考古学を学びたかったから

 入学してきたと話していました。

 

 

 もちろん、入るのが難しい大学に入ったということは、すばらしいことです。

 でも、いつの間にかあまりに偏差値至上主義になってしまっていて

 そのために入学するところに満足感を得られない、なんて

 人生の進み方として残念すぎます。

 

 ムスメが高校受験の時、彼女が明確にしていたのが

 「大学の付属高校」。

 もう、受験はいやという気持ちからです。

 なので願書を出した高校はすべて大学附属。

 入った高校は第一志望ではなかったのですが

 それでも入学後ムスメはどの学部に行けば何を学べるかを考え始めていました。

 ただしその後は、何度も書いているように、附属にはいりゃあ絶対あがれると驕り

 まーーーったく勉強しなかったので

 もう、最後は入れてくれるところ、となっていましたが

 ムスメはどの学部になっても、その場合はどう向かうかは考えていたようです。

 なのでどこになっても結果的には満足。

 (いいのかとも思うけどね)

 そして、運よく、自分がやってみたいことができそうな学部に入れたので

 いろいろ夢が広がってきたようです。

 

 何をいいたいかというと、入りたい学校、学びたいことがあって、

 そこではないところになったとき

 チャンスがあればチャレンジしていいと思うのです。

 でも、それなら、いわゆるすべり止め、わたしなら受けない。

 受けさせない。

 だって、絶対に満足しないもの。

 願書を出したら、そこは入ってもいいと少しでも思ったところ、のはず。

 だったら、受かったところで、何をするか、どう生きるかを考えたいし

 ムスメにもそうあってほしいと思う。

 学びなおしはいつでもできるから。

 でも、青春は待ってくれない。

 

 世に放たれれば、どこ出身かよりも

 どう世の中(会社)に貢献できるか、だし。

 となりの〇〇さんがなに大学出身かだなんて関係ないし。

 

 入れば都、人生をエンジョイしてほしい。

 もし違ったら、やり直せばいいのだから。

 まだまだ若いんだから。

 

 そういう意味で、ムスメはいつでも前向きでいい子です。

 馬耳東風、どこ吹く風、なので

 日々の暮らしでは、腹も立つし、頭にもくるけど

 いつでもいいほうに考えるので。

 

 人生は長い。

 私のようにあらかんになってしまうと

 路線変更難しいけれど

 まだ10代。

 どのお子様にも広がるミライ、夢あふれるミライが

 訪れますように。