今移動の電車の中、
ふと思い立って昨年90歳で亡くなった祖父の話をしようと思う

とりとめのない
ただのわたしの独り言なので
興味のない方はここで引き返してください🙏

四人兄弟の長男だった祖父は早くに両親を亡くし、自分も子どもだったのに妹たちのお世話をして育て上げたらしい

戦争も経験して
都内の老舗お煎餅屋さんだったけど
大空襲でお店も家も焼けて無くなり

祖父は幸い疎開していたため命は無事で
90歳まで生きてひ孫(わたしの子ども達)にまで会えた

その間も自分で事業を興して妻と子ども達を養い
亡くなった後も多少のお金を遺して
きっとものすごい苦労と努力があったのだろう

昔の典型的な亭主関白な祖父だったので
きっと祖母にとっては
あんまり良い夫じゃ無かったと思う

経済的な自立があれば離れたい瞬間は
数え切れないくらいあっただろう

わたしはおばあちゃん子で祖母が大好きで大好きで大好きだけど

祖父のことも同じくらい尊敬している

祖父が亡くなる前の3ヶ月ほどは寝たきりになってしまい
本人の同意もあり施設に入っていて
そこに子ども達を連れてほぼ毎日行っていた

わたしはヒプノセラピーだけでなく
アクセスバーズ(脳の断捨離が出来るタッチセラピー)の施術もやっていて

祖父のきっと残り少ない日々が
ちょっと楽になると良いなと思い
床に臥す祖父にアクセスバーズを行った

祖父の抱えているものはもんのすごくて!!
本当にすごくて!!

5分ほど施術したらわたしの両手が肘まで痺れて痛くなってしまうくらいには
溜め込んでいた

普段施術しているとこちらの体感として
指先がビリビリするのだけど

祖父はそんなレベルじゃ無かった
たった5分で両肘まで痺れて痛かった


祖父が亡くなる日の前夜
施設の方から間もなくだと思うと連絡が来て
翌朝みんなで会いに行った

すると呼びかけにも答えられて意外と元気そうで
なんだ、大丈夫そうだねと
それぞれ仕事や学校に向かった

昼頃にまた施設から連絡が来て
もう本当にそろそろだというので

仕事を切り上げ子ども達も早退させ
祖父の元へいくと

すでに息を引き取った後だった

あぁ、祖父は一人の時に逝きたかったんだな、と思った

短気で横暴な振る舞いをしながらも
人一倍努力して苦労して歯を食いしばって
周りのために生きた祖父らしい最期だと思った



ヒプノセラピーと出会って学んでセラピストになって
死生観も変わったし
死後の人と会えることも知っている

それに祖父は90歳まで生きて
こちらも心の準備をする時間もあった 

だけどそれはそれで
やはり寂しいものだ

生きていても「次」が無いことがあることは知っている

だけど亡くなったら本当に「次」は無い
生まれ変わりという意味ではあるのかもしれないけど

その肉体・心で生きられるのは今だけ


どんな人生にせよ
死ぬその瞬間にやり切ったと思える人生でありたい

…と思いながらだらだら過ごすこともやめられない笑