今日は 阪神淡路大震災がおきて 20年の日
職場でも その当時の話になりました。
ひとりは 神戸市で 家は半壊
4ヶ月ほど 避難所生活 その後仮設住宅に入り、 その後 家を新築したので
今は そこに住んでいると。
しかし 避難所生活は プライバシーもなく ものすごくストレスが溜まったと。
たまらず 大阪の友達のところに 逃げ込んだことがあると。
大阪は そんなに被害がなかったので、
通常通り 町の明かりがきらきらと
神戸と対照的だったと。
また 先生は 比較的 電気や水道など 回復したので
知り合いの方や ご近所の方に お風呂に入りにきてもらって 暖かい御飯を一緒に食べたとも
仕事場は 神戸だったので その当時の通帳をみると 収入はいっさいなく 支出ばかりが つづいていたと
その当時 尼崎あたりは 電気が比較的早く 回復したので
武庫川をはさんで その向こうは 灯りがついていたので
こんなにも 違うものかと おもったと。
それくらい 西宮、 芦屋、 神戸 あたりは 被害がひどかったんですよね。
おかげ様で 私がいたところは 比較的電気や水が 回復したんですが、
お二人共 いろんな困難にあわれていたんだなと 思いました
神戸にすんでいた人は 「配給」 というのが すごく嫌だったとも。
その日を境に 被災者として 援助される側になったのが、 嫌だったと
そう感じていた人は 多かったかもしれないですね
「被災者」として 憐れまれるのが
自分が 下の立場になったような そんななんとも言えない負い目のようなものを
感じたのかもしれない
「大変ね 頑張ってね」の裏には 『私は 大丈夫だ』という 余裕の心が みえている
私たちが 被害にあわれた方たちを 思うとき
そういうことを 踏まえた上で
いま 起きている災害に合われた方がたの思いに 寄り添うことが 大切だなと
思う。
すべてが いいように なりますように
感謝
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


職場でも その当時の話になりました。
ひとりは 神戸市で 家は半壊

4ヶ月ほど 避難所生活 その後仮設住宅に入り、 その後 家を新築したので
今は そこに住んでいると。
しかし 避難所生活は プライバシーもなく ものすごくストレスが溜まったと。
たまらず 大阪の友達のところに 逃げ込んだことがあると。
大阪は そんなに被害がなかったので、
通常通り 町の明かりがきらきらと


また 先生は 比較的 電気や水道など 回復したので
知り合いの方や ご近所の方に お風呂に入りにきてもらって 暖かい御飯を一緒に食べたとも
仕事場は 神戸だったので その当時の通帳をみると 収入はいっさいなく 支出ばかりが つづいていたと

その当時 尼崎あたりは 電気が比較的早く 回復したので
武庫川をはさんで その向こうは 灯りがついていたので
こんなにも 違うものかと おもったと。

それくらい 西宮、 芦屋、 神戸 あたりは 被害がひどかったんですよね。
おかげ様で 私がいたところは 比較的電気や水が 回復したんですが、
お二人共 いろんな困難にあわれていたんだなと 思いました

神戸にすんでいた人は 「配給」 というのが すごく嫌だったとも。
その日を境に 被災者として 援助される側になったのが、 嫌だったと
そう感じていた人は 多かったかもしれないですね

「被災者」として 憐れまれるのが
自分が 下の立場になったような そんななんとも言えない負い目のようなものを
感じたのかもしれない

「大変ね 頑張ってね」の裏には 『私は 大丈夫だ』という 余裕の心が みえている
私たちが 被害にあわれた方たちを 思うとき
そういうことを 踏まえた上で
いま 起きている災害に合われた方がたの思いに 寄り添うことが 大切だなと
思う。

すべてが いいように なりますように
感謝
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
