竹中りんごさんのインスタライブを見ていて、

 

 

「人から嫌なことを言われた時、それを言わせてしまっている自分は何だろうって考える」

 

 

とおっしゃっていたんですね。

 

 

わたしは、嫌なことを言ってくる相手は、ただ相手が意地悪なだけで、

 

 

自分が意地悪な部分を引き出してしまっているわけじゃない、

 

 

そう考えていたので

 

 

最初は「意地悪な言葉を言わせてしまっている自分」とは、どう言う意味だろう?と思っていたんです。

 

 

例えばわたしが英語育児をしていたとき、

 

 

「英語なんてやっていたら、日本語がダメになるよ?」

 

 

「英語を小さい頃からやる意味なんてない。」

 

 

「今日は子供と英語でアレをやった、コレをやったと言っている人を見ると気持ち悪くなる。」

 

 

とキツイ言葉を投げかけてくる人がいて、

 

 

その都度、相手に対して意地悪だな〜〜〜と思っていたんですね。

 

 

ただ、今思えば、

 

 

そういうことを言われていた頃のわたしって、

 

 

実は自分でも

 

 

「子供が小さい頃から英語をやるのって本当に意味があるのかな。」

 

 

「ブログにあれこれ書いても、自慢みたいに見えていないかな。」

 

 

なんて不安に思っていて、

 

 

そういう自信なさげな様子が

 

 

当時のわたしの表情や言動から溢れ出ていたと思うんですよね。

 

 

そんなわたしを見て、

 

 

相手は「なにか指摘して、ダメージを与えたい!」という気持ちに駆られたのだと思うし、

 

 

つい何か言いたくなる想いを引き出してしまっていたんだな

 

 

と思うんですよ。

 

 

今だったら、英語育児の自分の取り組みに自信を持って「意味があったよ」と言えるから、

 

 

わたしに対して「英語育児ってさ〜」と、ネガティブなことを言ってくる相手がいないし、

 

 

それ以前に英語育児に対して反対派の人と接する機会もないし、

 

 

もし、意地悪な言葉をぶつけられたとしても、

 

 

それ自体、わたしが受け付けないというか、

 

 

サラッと流してダメージを受けないでいられると思うんですね。

 

 

ダメージを受けるってことは、自分もそう考えているから真剣に受け止めてしまうのであって、

 

 

自分の中に全くない考えの場合は「え?そう思う?そうなんだ〜♪」と相手の一意見として聞いて、それで終わりにできるのだと思います。

 

 

「相手の嫌な部分を引き出しているのは自分」

 

 

というのがやっと分かったよ〜って話でしたハートのバルーン