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What shall I do today?

ハンドメイドアクセサリーの作り手です。
家族と仲間と猫三匹に見守られながら
試行錯誤の毎日を楽しんでいます。
仕事もちょっぴりがんばります。

まず初めに

この度の地震で被害に遭われた皆様
一日も早い復旧をお祈りいたしております。

驚くほど暖かい1日になりました。

外は意外と静かな気がします。

今回は長い文章だけの退屈な投稿に
なりますが、興味のある方は
お付き合いください。

福島に住んでいる私達にとって
震災から始まったここ10年は試練の
連続でした。

震災の話はいつか書こうと思って
いましたが、なかなか書けずにいました。
伝えたい気持ちが強すぎるあまり
どこか、表現が大袈裟になってしまわないか?
と自分の書く文章に自信がないからです。

それだけの強烈でいて繊細な出来事
でした。

昨日また大きな地震が起こりました。
その際の状況や今日の思いなどを
通して、どうしても記録しておきたいと
思いました。

起こった事、体験した事だけを
淡々と書こうと思います。

昨日の揺れは
震災以来の大きな揺れです。
福島市は震度6弱
震災から10年の間何度も地震が
ありました。5強クラスも何度か
ありましたが、今回の6弱と聞いた時は
もう少し大きな揺れに感じました。
私は震災の時より大きな揺れに感じ
ました。

同居家族は5人。全員家にいる
状態で地震は起きました。
娘2人は居間で、
私とパパさんは隣の部屋で
母は自室で。
それぞれTVを見たり
ゲームをしたりと、寝る前の
時間をゆっくり過ごしていました。

突然ゴーォー!っと言う大きな
地鳴りからすぐ、頭がぐらつくような
縦揺れ。緊急警報がなったのは
その直後です。

家具と部屋の入り口の襖を
開けた状態で抑える私は近くのパパさんを
見る余裕はありません。

娘達もそれぞれ、何か叫びながら
あちこち押さえていたようです。
直後縦揺れからさらに強い横揺れへ
頭がぐらぐらして目眩のような感覚を
おぼえながらも、地鳴りと
物が倒れたり、割れたりする
音で皆んなが何を言っているのか
良くわかりません。
立ち上がり、家具を抑えながら
自分の体を支えるので必死です。

ストーブ消して!と叫んだ気がします。

娘の一人が玄関へ移動。
部屋には割れた食器が散乱していましたが
幸いスリッパを履いていたので
玄関ドアを開けて逃げ道を確保してくれました。

けれど揺れがおさまるまで思うように
動けません。

母を呼びながら、母の部屋へ。
引き戸を開けると、
暗がりでベッドにちょこんと座っている
母がいました。
母のすぐ横に棚が倒れ込んでいました。
危機一髪の映像で心臓がギュッと
なりましたが
大丈夫だよ。と母が一言。
事態が分かっているのか!
部屋には物が散乱していますが
暗くてよく見えません。
母の無事を確認して危ないから
出てきて!言った気がします。

揺れが収まってきました。しかし
地震なのか我が身が揺れているのか
わかりません。足がガクガクしています
情けない。
震災の時は揺れが収まっても数日ずっと
揺れている感覚があったのを覚えて
います。

母が割れたコップを持って部屋から
出てきましたが、居間も割れた食器の
破片が散乱していて危険です。
揺れが収まったので、母は自室の

手分けして、まず破片を片付け。
気がつけばTV番組が報道特番に
変わっていました。

すぐさま、パパさんは実家に連絡。
無事を確認できてホッとしながら
私は息子夫婦と友人
母は妹へと連絡しました。
全員の無事を確認できました。
今回は携帯がつながるので本当に
助かりました。

ほどなく友人達から連絡がはいりました。
それぞれにまず無事を確認。
それから、被害の状況を聞くと
停電している地区、断水している
地区、市内でも被害が様々でているようです。

妹のところは水がでないと連絡が
来ました。

ある友人は一人暮らしの親がいる
実家へ車で向かいました。
途中、信号が消えて警察の方が
交通整理をしてくれていたそうです、
24時間営業のガソリンスタンドには
早くも車の列をつくっていたそうです。
震災の時の悪夢が蘇ります。

断水地区の友人が近くのコンビニへ
水を買いに出かけたら、散乱した
商品を片付けながらも営業していた
そうです。
しかし、
水はすでに売り切れていたそうです。

夜間と言うこともあるのか、
TVからは大きな被害の報告は
また、伝わってきませんが
ヘリコプターの飛ぶ音、サイレンの音
がずっとしています。震災時の街中の
状況が思い出されて気持ちがザワザワ
してきます。
停電している友人から、暗くて怖い。
片付けは明るくなるまで無理だと
LINEが入りました。
暗がりは感覚が鋭くなってしまい
眠れなくなります。友人も眠れないと
言っていました。

そう言えば3匹のネコ達の姿が見えません
家中探してみると、姉妹ネコ2匹は
居間のソファーの下で寄り添って
じっとしていました。良かった無事だ。

もう一匹は、呼んでも出てきません
2階を探すと一番高いタンスの上で
ブルブル震えていました。
手を出しても近づいてこず固まって
います。少しそのまま落ち着くのを
待つことにしました。

家の中が片付いてきた頃、
内閣府の会見、気象庁の会見が
TVで始まりました。気象庁の女性の
説明は聞き取りやすくわかりやすかった
です。
今後1週間、特に24時間は同じクラスの
余震に警戒との事、小さな余震は頻繁に
起きていたので、全員で2階に寝ることに
しました。服を着たまますぐに逃げられる
準備をして。

タンスの上で震えるネコを多少強引に
引っ張り出し、抱っこしたまま布団へ
ブルブル震えていましたが胸の上に
乗せるとそのまま、じっとして次第に
震えが収まっていきました。
良かった…怖かったね。

まだ、ヘリコプターの音とサイレンの
音は聞こえています。そして、まだ揺れて
います。

いつの間にか寝てしまったようで
朝、新聞が届いている事に驚きながら
TVをつけて、妹と、友人へ連絡
電気、水道ともに復旧したらしく
ほっとすると共に、夜通し作業に
あたってくださった方々に感謝の気持ちが
込み上げてきました。

パパさんは朝一で会社や実家の様子を見に
出かけていきました。
私は娘と、ガソリンを入れながら必要な
物を買い出しに。
ガソスタは少し混み始めていましたが
スタッフの方々の誘導のおかげで
スムーズに給油が出来ました。
今、満タンであるか、そうでないかで
今後がかなり変わってきます。
次は近くのホームセンターへ
こちらも、店舗内復旧作業しながらも
お店を開けてくれていました。
本当に、本当に涙が出るほど助かる
対応です。お店は被害に合いながらも
必要な物を届けるため、危険回避を
行いながら9時 30分には開店していました。
必要な物を必要な分だけ買って
レジでいつもよりさらに感謝を込めてお礼を
言い帰宅。

しばらくして、義理の弟から連絡がきました。
弟は我が家を建ててくれた大工さんです。
瓦と壁に異常がないか
確認して欲しいと言われ外にに出て瓦を確認
しました。
素人目には異常は確認できず報告すると
弟いわく、瓦一枚一枚ビス留めしてあるから
多分大丈夫だとは思うとの話しでした。
次は部屋の中、小さな亀裂を数カ所発見
これも報告しました。
被害が大きい方々から優先に
修繕して行くから少し時間がかかるけど
まずは見に行くからと心強い言葉。
もちろんそれでOKです。気にかけて連絡を
くれた事がありがたい。

そして、今
大きな余震は無く、私達は今のところ
無事でいます。

さてここまでが地震発生から今までの
私が体験した事ですが、お気づきの方
おりますか?
地震発生直後から

あっ、また地震です!結構揺れて長いです。

収まったかな?

話を戻します。地震発生直後から
交通整理の警察の方々、報道の方々
救命救急や消防の方々、電気、ガス、
水道、道路などの復旧にあたる方々
新聞関係の方々、必要な人のために
復旧作業しながら店舗をあけてくれた
方々、その皆さんにも、ご家族がいます。 
その中には私達より大きな被害を被った方が
いるかも知れません。
震災の時もそうでした、
コロナの今もおんなじです。
どんな状況の時でも、私達のために
誰かが厳しい状況の中でも尽力して
くれています。

大変な事態に合いながらも、
自分の時間を誰かのために使いながら
世の中を回そうとしてくれる
人達がいる事に感謝しないといけない
とあらためて思いました。

明るくなって各地の被害が分かってきました。
震災の時のような、何度も何度も
起こる強い余震は今のところありませんが
油断せずに、警戒しながらしばらくは
過ごしていきます。

昨日から震災時の事を今まで以上に
思い出しています。
私の経験など、他の方々に比べ
たら話す程の事でもないかもしれませんが

ここ福島で体験した事をこれからも時々、
少しづつお話していこうかと思います。

また、ヘリコプターが飛んできました。

長い、長い話にお付き合いありがとう
ございました。

被害にあわれた皆様に、心からお見舞いを
申し上げるとともに、
今まで同様、また立ち上がって生き抜いていきましょう。私達にも明日があります。

福島魂…!