自分に起きる変化、
自分を変える変化、
相手に起きる変化、
相手を変える変化、
変化にもいろんなカタチがあるけど
どれも“変わりたい”という
想いがあってこそのもの
突如現れる変化に戸惑ったり
何とか抜け出そうと変化を求めたり
変化を余儀なくされたり
すべては
プロセスであり
想いから引き寄せられるものであり
成長・進化へと繋がるもの
与えられる変化は
抵抗を生みやすく…
自ら起こす変化は
苦悩をもたらす…
簡単なことはないし
すんなりできることもあまりない
どんな変化も
自分と向き合うことになり
相手を見つめ
向き合うことになる
そこには
「強い意志」が
存在することが鍵となる
変化がやってくると抵抗が生まれ
無意識に自分を守ろうとするもの
“自分を守るために自分を責める”
そうすることで
責められないようにするために…
「どうせ私が悪いから」
「私がすべてダメだったんだ」
「なんて私はひどいんだろう」
「そういうことにしておけばいいんだ」
これって、本当は何だろう…
「私は悪くないのに」
「私が我慢すればいいんだろう」
こんな声が、想いが、ないだろうか…
自分を否定して
自分にダメ出しする、
そんな心の内側のどこかに
「あなたは悪くないよ」
そう言って欲しいものが隠れている
自分を責める振りをして
誰かに庇ってもらう前に
欲しい言葉をもらう前に
“自己否定” を止めてみる
<自分で自分を叩く>
責められないためにそうする癖が
いつの間にか変化・成長・進化の足かせとなり
頑なな自分を創りだしてしまうから
耳を塞ぎ、目を伏せて
そうして心を閉ざしてしまうから
自己否定のループに飲み込まれると
抜け出すのは容易ではないから
「自分を傷つけるのは自分自身」
「自分を追い込むのは自分自身」
そのことに気づかずに
自分をズタズタにしてしまわないこと
自分の中の罪悪感を認めて
自分を責めるのを止めること
罪悪感を認めることは
自分の非を認めることとは違うし
そこには
本当は
善悪もなく、否定もない
自分が “自分の非” と感じるものは
心が勝手に
罪悪感から生み出しているものだから
責められているように感じるものこそ
心が勝手に
罪悪感から生み出しているものだから
ただ、そこにあるものを
ただ、見つめるだけ
ただ、そこにあるものを
ただ、認めるだけ
「どうせ私が…」
それは謙虚に見せかけた “傲慢”
傲慢からは
決して決して
変化も成長も進化も生まれない
自分が生み出した罪悪感から
“自分を赦して 解放してあげること”
そうすることが変化となり
成長・進化の糸口となっていく
そうして、
そうすることで
相手も同じように解放されていくのだから…
それは決して
自分のことしか考えない傲慢でもないし
罪悪感を感じることでもない
変化が訪れ、変容を受け入れることも
変化を求め、変容していくことも
どちらも
変わりたいと想う心を大切にして
自分を赦し、解放し、
相手をも赦し、解放することで
『変容』というカタチが
創りあげられていくことになるのだろう
相手を変えようとする変化なんて
本当は存在しない
そのことを知ってるだろうか…?
そのことを分かっていただろうか…?
どんな人にもその人のタイミングがあって
そのタイミングがやってくることを
ただ見守ることしかできない
出来ることは “寄り添うこと” だけ
責めたり、詰め寄ったりせずに
変わらず傍に居ること
「私がこれだけ努力してるのに…」
そう相手を責めず、嘆かずに居ること
「あなたのためなのに…」
その想いは、本当は誰のためのものなのか?
どれだけ
相手の変化を望まずに期待せずに
見守ることができるのか
どれだけ
自分が何とかしようとせずに
見守ることができるのか
だってね、
違う人になって欲しいわけじゃないでしょう?
だってね、
それじゃその人と居る意味がないでしょう?
これは
相手を見ることではなくて
これは
自分を見ること
自分を見つめること
「変わって欲しい」という想いや
「変わればいいのに」という期待を
どこまで自分の中で昇華させられるか…
これって実は
相手の変化をどこまで願えるのか…
という、
まさしく想いそのものを表すことになる
ただ願うだけで
押し付けるのではなく、
ただ願うだけで
追い詰めるのではなく、
期待して追い詰めたりせずに
その人のタイミングを見守り
寄り添えるのか…
それが本当の意味での
『変容』へと繋がっていくことになる
心から
相手のための、相手の変化を望むのなら
“きっと自分のタイミングで
自分で答えを出す力をもってるんだ”
そう信じて見守ることが
必要であり
大切であり
重要である
変化の漣を求めるのではなく
変化のきっかけの小石を
ほんの小さな小石を
ポトリ、と
落とすだけ…
波紋の大きさも
漣のスピードも
その人のもの
大きな石を落としても
波紋を大きくできるわけじゃない
津波のように押し寄せるわけじゃない
静かに自分の内なる波紋を見つめる姿を
ただその姿を見せるだけ
「こうして波紋を感じ見つめ
変化を受け入れ
変容していくんだ」 と
起こされた波紋も
自ら起こした波紋も
どちらも波紋には違いないのだから
誰が波紋を起こしたのか、ではなく
自分の内なる波紋を見つめること
湧き上がるもの(罪悪感)を認め
それを生かすこと
自分に起きる変化も、
自分を変える変化も、
相手に起きる変化も、
相手を変える変化も、
どれも
『変化』であり 『変容』 となる
“変化してくれることより
変容することを”
“変化するより
変容することを私が願えますように…”
変化の漣を求めるのではなく
変化のきっかけの小石を
ほんの小さな小石を
ポトリ、と
落とすだけ…
波紋の大きさも
漣のスピードも
その人のもの
大きな石を落としても
波紋を大きくできるわけじゃない
津波のように押し寄せるわけじゃない
静かに自分の内なる波紋を見つめる姿を
ただその姿を見せるだけ
「こうして波紋を感じ見つめ
変化を受け入れ
変容していくんだ」 と
起こされた波紋も
自ら起こした波紋も
どちらも波紋には違いないのだから
誰が波紋を起こしたのか、ではなく
自分の内なる波紋を見つめること
湧き上がるもの(罪悪感)を認め
それを生かすこと
自分に起きる変化も、
自分を変える変化も、
相手に起きる変化も、
相手を変える変化も、
どれも
『変化』であり 『変容』 となる
“変化してくれることより
変容することを”
“変化するより
変容することを私が願えますように…”