最近、感じるのですが…

本当に世の中って、
思い通りにならないこと
ばかりだと思います。

子どもの連れ去り問題が、
そうですよね。

連れ去った親だけが、
良い思いをして

子ども自身も、
別居親も苦しんでいる。

日本の司法では、
それが「正しい形」と…

今だに、変わりません…

残念過ぎます!



さて、

思い通りにならない事を相談すると、
「あきらめも大切だよ」と
言われることありませんか?

はたして、

『あきらめる』の意味を、
どのように解釈してるのでしょうか?

「終わりにする」
「断念する」
「投げ出す」などと
解釈してると思うのですが、

それだと、

大切だとは思えませんし、

納得もできないので、
『あきらめる』ことなど
出来ませんよね!?



そこで、

『あきらめる』を他の意味で、
解釈してみたらどうでしょう。

『あきらめる』の語源になった
仏教用語で解釈すると、

明らかに見極める」になります。

「明らかに見極める」とは、

「現実を見て、
物事の本質を明らかに見て受け入れ、
その事によって執着心を手放すこと」
らしいのですが…

私には難しいので、
「ハッキリさせて、次を考えること」
とザックリと考えてます。

なので、

こんな風な、考え方をしてます。

思い通りにならない事があると…
      ↓
まずは、現実を受け入れる
      ↓
何が大切で必要か、ハッキリさせる
      ↓
大切(必要)じやないものは手放す
      ↓
次の方法を考える
      ↓
行動する

と、なります。
これも、ザックリですね(笑)



『あきらめる』とは、

「手放して終わり」と、
いうよりも、

「次を始めるために手放すこと」
とも、思っています。

ポジティブな
イメージにもなりますよね!



あなたの『あきらめる』は、

「終わり、断念する」と、

「明らかに見極める」

どちらがいいですか?


両方ありなんですけどね(笑)



最後まで読んで頂きまして
ありがとうございます。