おはようございます。

 

6月18日(木)

 

午前10時30分すぎにお世話になっている特養のケアマネさんから電話がありました。

 

母が亡くなったことを知らせる電話でした。

 

旦那さんと息子たち、兄に連絡をした後、

先日相談に伺った「S典礼」に電話を入れてから家を出ました。

 

 

11時少し過ぎ、特養に到着しました。

 

施設長さん、ケアマネさん、看護師さん、介護士さん・・・

皆さん口々に、母が亡くなる前に連絡ができなかったことを謝ってくださいましたが、

母の最期に立ち会えなかったことよりも、

母の最期に立ち会ってくださった(看取ってくださった)ことへの感謝のほうが大きくて、

「最期まで良くしていただいて、ありがとうございました」

という言葉しか出てきませんでした。

 

 

11時30分過ぎ、お医者様がいらっしゃいました。

 

テレビドラマのように・・・

脈をとって、胸に聴診器を当てて、ペンライトで瞳を確認したあとに、

ポケットからスマホを取り出して、

「11時39分 ご臨終です」

と、つぶやきました。

 

その後、お医者様がわたしに、

「ご家族の方ですか?死因は『老衰』でいいですか?」

と、おっしゃったので、

「はい」

と、答えました。

 

お医者様が母の居室を出て行った後に

あれ??

『老衰でいいですか?』って・・・

 

もしもわたしが

「老衰ではなんですから・・・」と、答えたら

なんらかの「病名」が死因に書かれたのかな?

病院で亡くなった場合には、おそらく「老衰」ではなくて病名が付いたのだろうし。

そういえば、高齢で亡くなった方って、「多臓器不全」とか「肺炎」の方が多いよなぁ・・・

なんて、どうでもいいことを思いました。

 

 

お医者様がお帰りになった後、3名の看護師さんが母の部屋にやってきました。

 

「これからお仕度をさせてもらいますね。

 お部屋にいらっしゃいますか?外で待っていてくださってもいいですよ。

 20~30分程度ですが。」

 

積極的に、母のお仕度(エンゼルケア)に立ち会いたいと思ったわけではないのですが、

ちょうどユニットの皆さんの昼食の時間帯で、

ユニットの食堂兼談話室で待っているのも気が引けたので

 

「あ、ここ(母の部屋)にいていいですか?」

 

と、答えました。

 

看護師さんたちは、軽くうなずくと、

「〇〇さん~お体を拭いてきれいにしましょうね~!」

と、まるで介護をするときのように母の耳元で声をかけて、清拭を始めました。

 

ベッドから少し距離を置いて立って見ているわたしに

 

「ご一緒にされますか?」 と、声をかけてくれました。

 

「あ・・・いいですか?」

 

「もちろんです!!お顔、拭いてあげてくださいね」

 

看護師さんが手渡してくれた固く絞ったタオルで、母の顔を拭きました。

 

一緒に体を拭きながら、

この数日の母の様子や、母の最期の話をしてくださいました。

 

母はすでに冷たくなっていたけれど、

顔の表情はとても穏やかで、

二日前にわたしが母の部屋を後にした時と全く変わりありませんでした。

 

看護師さんたちが話してくださったように、眠るような最期だったのだろうと思いました。

 

 

髪もサラサラしていて、

ずっとベッドに横になっていたとは思えませんでした。

たぶん、髪の手入れもしてくださっていたのでしょう。

 

身体をきれいに拭き清めた後、

わたしが用意した桔梗の花の浴衣に着替えさせてくださいました。

 

1か月近くほとんど何も口にしていなかったという母は、

わたしが想像していた以上に、ちいさく・小さくなっていました。

 

 

そのあと、

看護師さんたちと一緒に母にお別れのお化粧をしました。

 

若いころから「眉が薄い」ことを気にしていて、

病院に入院したあともずっと「眉墨」を手放さなかった母のために

丁寧に眉を書きました。

 

特養で母に関わりのあった方たちが、

次々、部屋を訪れて、

母に声をかけながら、お化粧のお手伝いをしてくれました。

冷たくなった頬にチークを入れたり、血色を失った唇に紅を重ねたり・・・

 

「おしゃれな方でしたよね。」

「○○さ~ん、今日は訪問美容の日だったのよ。最後に、髪を染めてあげたかったなぁ。」

 

と、介護士さんが母にささやきました。

 

 

施設(特養)の昼食時間で、皆さんお忙しいと思うのに、

なんて優しい方たちなんだろう。

 

いまにして思えば、

施設の皆さんと一緒に母の身支度を整えるうちに

わたしは少しずつ『母が亡くなった』という現実を受け止めて行ったのだと思う。

 

あの時間に

『介護』?『介助』?されていたのは「わたし」だったのかもしれない。

 

かけがえのない、お別れの時間を作ってくださった

特養の皆さんにただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

何人もの皆さんのおかげで、きれいに薄化粧をした母は、

いまにも目を開けて微笑みそうでした。

 

 

母の身支度が整ったころに、旦那さんが到着しました。

 

13時過ぎ、S典礼の寝台車が母を迎えに来ました。

 

母を載せたストレッチャーは、

いつもわたしたちが使っているエレベーターで1階におりて、

正面玄関から特養を後にしました。

 

特養のロビーには、(おそらくほぼ全員の)職員の方が整列して

母を見送ってくださいました。

 

深く深く頭を下げて、お礼を言って、特養を後にしました。

 

特養の敷地を出るときに玄関を振り返ると、

施設長さんをはじめ皆さんが、深く礼をして見送ってくださる姿が目に入りました。

 

 

この施設(特養)にお世話になって良かったと、心から思いました。