名古屋に住む母が、日中、道路で倒れて病院に運ばれた...
という連絡が弟からあった。
病名は熱中症、認知症、そのほかにもあったけど、今は覚えていない。
その時、認知症と聞いて、さらに一年前のお盆に帰省した時の母を思い出した。
綺麗好きで、「掃除は拭き掃除が一番!」が口癖だったのに、
実家は、いつ掃除したの?と聞きたくなるほど散らかっていた
うたた寝中だったのか?、横になっていた母が、
「年には勝てないねぇ。段々体力が落ちてくるし、無理はできないからねぇ」
私、「無理しなくてもいいよ。でも、だれかに来てもらうってことは、できないの?」
確か、そんな会話をした記憶がある。
普段の母は、昭和一桁の生まれで、そういう世代だから仕方ないと思うけど、
直ぐに使わないものは何でもしまい込む。そのうち、しばらく経つと忘れる。
(私にもその傾向があるから、私の場合は、メモを付けるか、透明な可視化できるところに置いたりするのだけど...)
部屋には、
洗濯物は畳んではあっても、そこここに積まれている。
掃除機もゴミが溜まっている。
出しっ放しのモノにはホコリが被っている。
冷蔵庫には、いつ食べてそのままになってるの?...と、問いかけたくなる食べかけのものや、開封後、賞味期限をはるかに超えたモノがいくつもある。
冷凍庫は、これだけあれば、何週間大丈夫だろうか...?と、思ってしまうほど、
キュンキュンに詰め込まれている
............急にここまでいく...⁈
それまで、私は、盆暮れや法要、夫の実家へ行く際には実家に寄って、
春と秋には、私の家の方に、旅行も兼ねて来てもらっていた。
ただ、そんな異常事態が起こる何ヶ月か前に、
「家のこと、色々やることがあって、今回はそちらに行けないわ」
と言っていた。
私は、この頃から、何かが変わって来ている...と感じていた。
電話のやりとりで、
母が聴き取れていないのに、
「はい、わかりました」
「そうします」とか、
会話の内容と合わない返事をすることを...。
相手に心配させまいとして、言っていたのか?
聞こえていない⁈という自覚があるのか、ないのか?
何だか変...って、思っても、電話の向こうでは確認しようがない
そういえば、連絡して実家に寄ったのに、
「えっ、今日来たの?」
って、驚かれたことがあった🤭
あれは、いつのことだったか?
とはいえ、対面で話をする時は、こちらの言う言葉を聞き取ろうとしているので、口元を見ているのか、話は通じる。
母は、80歳過ぎていて、父の死後一人暮らし。
庭で、生ゴミを堆肥化して、葉物野菜やジャガイモ、玉ねぎなどは自分で育て、実りの多い時は、こちらに送ってくれる。
春には、八朔。秋には、柿やみかん、手作りの干し芋を送ってくれて、ありがたかった。
母の作る野菜は、スーパーの野菜とは違って、野菜の自然な甘みが濃くて、そのままでも、あるいは茹でただけ、というようなシンプルな調理法で美味しくいただけた。
母は、スーパーに買い物も行くけれど、出来合いのお惣菜は、あまり買わない方だった。
野菜を育てることも、四季折々の花を見ることも好きで、そんな庭仕事が日常にあった。
歳がいくと、家で片付けや雑用をしながら過ごす時間が増えてくる。
でも、そんな時間を楽しんでいたのが、これまでの母だった。
体の動く間は、まだ何でも自分でして、息子夫婦(弟夫婦) の家とは、車で30分と離れていない距離なので、自由に気ままに暮らしていた。
しばらく前までの、元気に、手間ひまかけて生活する姿を知っているだけに、その急な変わりように驚いた。
近くに住んでいるのなら、細かな変化を察知することもできるだろうけど、離れて暮らしている場合は、私に何ができるのだろう?
私も老いを迎えると同じ様になるのか?、自分がこうならない為にはどうしたら良いのか?
と、いろいろ自分に問いながら、暗い気持ちにもなったことが思い出された。
ニュースでは、毎日のように、認知症に関わることが報じられています。
そんなニュースを見たり聞いたりして、不安は感じても、
自分の家族は、もう少し先のように根拠もなく思っていて、
言い換えると、怯えながら暮らすというのも、しんどいものなので、無意識に遠ざけていたことに気づきました。
日々の生活に追われている時は、意識することを避けていられますが、何かの折にふれて、心は、そんな老いの過程に運ばれています。
今回のブログは、そんな私が、母の老いの過程を通して気づいたことを、長くなりそうなので何回かに続けて書いていこうと思います。
今回も、ここまで読んで下さいましてどうもありがとうございました😊