昨日、マンションの受付で、思わぬ褒め言葉をかけられました。
いつも顔を合わせる受付のお兄さんが、まじまじとした顔で話し始めたので何かと思ったら、
「あなたは、いつも同じように笑顔で機嫌がいいですよね。」
「安心感を感じるというか、その姿にとても尊敬しています。」
と、嬉しい言葉をかけてくれました。
こんな風に、誰かのことをまっすぐに、ためらいなく褒められるアメリカの文化っていいよなぁと、心温まると同時に、
なんだか、不思議な気持ちになりました。
なぜなら、わたし、いつも一定じゃなし、笑
むしろ、数年前のわたしは、自分の不安定さにすごく悩んでいたからです。
当時はメンタルの不調を抱えていて、落ち込んでしまったり、ネガティブな感情に心が覆われてしまったり、心も身体も身動きが取れなくなってしまうことがありました。
そして、落ちてしまうたびに、不安定な自分のことをひどく責めて、
どうしたら「安定感のあるわたし」でいられるのだろう?
どうしたら、「いつもポジティブ」でいられるのだろう?
ポジティブな自分を肯定し、ネガティブな自分とアップダウンを否定し、
一定であれるように、必死で努力していました。
でも、そうすればそうするほど、自分の中のアップダウンの波が激しくなる悪循環に陥っていたんですよね。
でも、そんな風に足掻いていたある時、
「波があるのは、生きている証し。」
という言葉を耳にしました。
海も、波が常に寄せては返す。
呼吸も、吐いて吸う。
私たちの声も、波動も振動していて、波がある。
心拍も波打っている。
心電図が一定になった時というのは、亡くなった時。
だから、「波があるのが当たり前のことなのだよ。」と。
その言葉が心に響いて響いて、
そこから、だんだん、自分の波を受け入れられるように変わっていきました。
波を打つのが自然なことだし、
アップダウンも、わたしが生きているからこそのリズムなのだと。
上がるのも下がるのも、陰も陽も、黒も白もあるのが、自然なことなのだと。
そうして、不安定な自分を許せた時、わたしの中の大波が、さざ波のように落ち着いていきました。
人間だもの。
アップダウンがあるのは当たり前で、それでいいんですよね。
それが生きているということ。
そして、矛盾するようだけど、その不安定さを許してあげると、自分の中に安定感が生まれました。
だから、受付の彼が、わたしに対して、
いつも同じように笑顔で安心感がある、
と感じてくれたのだとしたら、
それは、わたしが一定だからではなくて、
わたしが、わたしの波を受け入れているから。
そこに、なんらかの安定感や安心感を感じてくれたのかな?と思いました。
わたし、全然一定じゃないので。笑
怒る自分も、弱気な自分も、卑屈な自分も、陰気な自分も、
調子がいい時も悪い時も、やる気がある時も干物女のような時もある。
でも、そんなネガティブな自分をジャッジせず、否定せず、
ポジティブな自分と同等に、大切な自分の一部だと捉えて、受け入れている。
自分の波を受け入れる。
ポジティブもネガティブも丸ごと受け入れる。
そのことによってわたし自身が感じている安心感を、彼は感じ取ってくれたのでしょうね、きっと。
エレベーターに乗っている間、そんな回想をしました。笑
波があるのは、生きているということ。
だから、どんな自分も否定せずに「丸ごと」受け入れてあげる。
肯定しなくてもいい、せめて、そのまま受け止めてあげる。
そう心がけるようになってから、心がとっても落ち着いて、あたたかな安心感の中で生きられるようになったなぁと思います。
それでは♪
Have a good one!