一流の文章 | ライオンシティからリバーシティへ

一流の文章

インターネット時代の21世紀。

私たちの読書は日に日に、ラフになっている。

インターネット、新聞、雑誌、ビジネス書のたぐいは、斜め読みどころか、横読み。

エッセーや、小説も、軽いものは、どんどん読み飛ばす。中身の薄い新書は、大半は10分くらいの立ち読みで用を済ませてしまう。

読者のこうした性向に合わせてか、書き手の方も、斜め読みに適した、ますますさらっとした文章を書くようになった。なんだか、どの本も、パワーポイントのプレゼン資料のようである。

こういうものに慣れると、一昔前の読み物の中身の濃さにたじろいでしまう。

改行がないまま、修辞や説明が延々と続き、大筋がうねりながら行きつ戻りつ展開する。

その濃さが障害となり、ついつい、途中で投げ出してしまう本が多いのだが、この本は違った。
骨董裏おもて/広田 不孤斎
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著者の広田不孤斎さんは、1897年(明治30年)生まれ。日本橋高島屋向かいの古美術の名店「壷中居(こちゅうこ)」の創業者である。不孤斎さんは、東洋美術の当代一流の目利きで、「心眼」を持つといわれた人である。

岩崎小彌太、根津嘉一郎、益田孝、安宅英一、細川護立、青山二郎に小林秀雄、川端康成といった綺羅星のような財界人、文化人が壷中居の顧客だった。

今でも、東京国立博物館の広田コレクションはじめ、少しでも古美術をかじれば、あちこちに不孤斎さんの名前がでてくる。

その不孤斎さんの自叙伝、こういう風にはじまる。

私は長谷川伸先生の御作で評判の「一本刀土俵入」に出て参ります取手の宿、我孫子屋の茶屋女お鳶の生まれ故郷と同じ越中富山のおわら節の本場、八尾町の生まれでございます。(後略)

1973年まで生きた不孤斎さんは、私の祖父の同時代人で、決して大昔の人ではない。だが、その語り口は、実に古式床しく、文楽や長唄のようである。

家が貧しかった不孤斎さんは12歳で家庭を離れて、古美術商の小僧となった。

昔、近代教育を受けていない日本人は皆、こうした美しい語り口だったのかもしれない。

不孤斎さんは、結果的には、昭和の激動期に富豪相手の商売に大成功したのだが、その文章から浮かび上がる人柄は、およそ、そうしたことから想像されるような灰汁の強さがない。

有名人の逸話、取引の裏話、業者の骨董をめぐる駆け引きなども、不思議といやらしくも、どぎつくもなく、品格と情趣がある。

自意識が薄く、他人を見下す気持ちやうらやむ気持ちが少なく、優しくて心もちが綺麗で、かつ真摯に商売してきた人なのだと思う。

不孤斎さんの語り口は楽しいことにも苦しいことにも、あっさりとしている。

(前略)こうして西山君と共に楽しく商売に励んでおりましたところ、西山君は昭和8年春のふとした風邪引きがもとで追々病が重なり、帝大病院に入院して療養に努めましたが、その甲斐もなく、とうとうその年の10月7日に亡くなりました。死期を悟るや幼き二児のことを私に頼み、壷中居の後をも私に託しました。(後略)

(前略)ところが追々に時勢も変わり、お客の好みも変わり、物の見方も進歩をするようになりました。西山君のように天才でもない私には世の移り変わりも洞察できず、以前として昔と同じような新味のない営業を続けておりました。(後略)

不孤斎さんの文章を、いつまでも読んでいたい。

書き写して、その美しさを味わうだけで幸せになれるから、いくらでも書き写したい。

それ自体が一流の骨董のような、スタイルと品格のある、美しい本である。