奈良旅行(1) 久しぶりの国内旅行 | ライオンシティからリバーシティへ

奈良旅行(1) 久しぶりの国内旅行


国内旅行と海外旅行。

非日常を味わうのが「旅」。。。。。という視点に立てば、だんぜん、海外旅行に軍配が上がる。

飛行機が着陸し、現地の空港に降り立って、空気の匂いを嗅いたときから、非日常は始まる。

空港から街への景色。レストランの食べ物の色と匂い。メニューの文字。ウェイトレスとのやり取り。人々の着ている服、顔立ちと体格。建物のスタイルや質感。

五感すべて非日常に浸るのは快感だ。

シンガポール在住中は、自宅からわずか10分ほどの移動で、リトルインディアや、チャイナタウンやゲイランにいって、しょっちゅう、異世界にトリップしていた。

また、フランスのカルカッソンヌや、イタリアのベネチア、ベルギーのブリュージュ、中国の麗江のように、中世の街がそのまま保存されている観光地では、時間をも越える感覚を味わうことができた。

こうした街を一日中、歩き回ると、しまいには、中世の人々の通行人が建物と建物のあいだを通り過ぎる幻影が見えてくるような気がしてくるのだ。

これに比べると、国内旅行は、どうしても刺激に欠ける。

そもそも、どこでも日本語が通じる。

セブンイレブンや、イオンや、Tsutayaや、マクドナルドや、エネオスはいたるところにあり、バブル期の醜悪マンションや、雑居ビルが延々と続く、日本の地方都市の街並みは、基本的に東京と似ている。

食事だって服装だって、日本全国、地方色があると行っても、はっきりいって大同小異である。

外国人にとっては、平凡な日本語の看板や、道行く人々のファッションそのものが「非日常」で面白いのかもしれないが。。。。

古都奈良。。。といっても、奈良市そのものは、ビルと電信柱が続く、ごく平凡な地方都市である。

1300年前に、わずか70年しか首都として機能しなかった平城京の街並みは、とっくの昔に失われている。

だから、奈良の街を歩くだけで天平古代ロマンを感じようとするのは、基本的に無理がある。

天平時代の雰囲気に浸ろうとすれば、拝観料を払って寺から寺へと駆けずり回り、寺と寺とのあいだの景色は「見なかったこと」にするしかない。

その、寺にしても、天平時代の建造物がそのまま残っているという例はほとんどない。せいぜい、鎌倉時代以降に再建されたものが大半だ。

正真正銘の天平時代の美術品は、ガラスケースに収められた仏像頭部で、普段はそれは見られなかったりする。

このような奈良旅行において、天平人の幻影を見て古代ロマンに浸るには、歴史や美術の知識を事前に大量に仕入れておく必要がある。

よく、仏像は、あまり解説書などで知識を詰め込まず、無心に、右脳と五感を使って観るといい、という。

でも、何の知識もないと、何も見えない、というの事実である。

白洲正子さんは、西国旅行から東京に帰ってくると、いつも夢心地だった、という。

でも、「十一面観音」や、「西国巡礼」の博識ぶりを読むと、白洲さんは、沢山勉強して頭の中に常人をはるかに超えるレフェランスがあったからこそ、夢の世界にトリップできたのだ。。。。ということが分かる。

和辻哲郎の「古寺巡礼」にも同じことがいえる。

このインテリ青年は、美術史やら、東西の文化比較やら、古代日本の政治的状況やらにやたらに詳しい。何度も同じ仏像をリピし、事前に仕入れた大量の情報に立脚した物語を構築し、仏像に投影し、その物語に、感動して、涙している。

あんまり分からないまま出発してしまったが、本質的に奈良は一見さんには難しい、インテリ向けのディープな旅行地なのだった。

とりあえずは、高校の歴史の教科書の「奈良時代」をおさらいしておくべきだった。。。。。

ライオンシティからリバーシティへ
↑奈良市から初瀬に向かう途中に、私の苗字と同じ、下山町を発見、思わずパチリ。それにしてもあまりに平凡な、どこにでもある、日本の国道沿いの景色。。。。

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