【本当の愛国心とは似て非なるもの】 | 徒然日記

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【本当の愛国心とは似て非なるもの】

5月9日は、1945年にソ連軍がベルリンを解放して、ナチス政権が降伏し、第二次世界大戦が集結した記念日で、ロシアではいたるところでパレードが行われる。この行事が世界でも特別なのは、一般の人々が戦争で戦った家族の写真を掲げて街を練り歩く「不滅の連帯」と呼ばれるパレードがあることだ。こうした記念日に軍隊のパレードなどがあるのは、世界中どこでもそうだけれど、ロシアでは、一般の人々が、当時戦った人たちに敬意と感謝の意を表す。この行列の人々の表情を見れば、これが決して形だけでのものではないことがわかる。

去年、このパレードのことを初めて知ったとき、一体こんなことがあるのかと思った。日本なら、戦死者の記念行事といったら、賛否両論があり、あの戦争が正しかったのかどうかという議論がある。あの戦争で戦った人たちに対して、日本人としてどう考えるべきなのかは、とても複雑な問題だ。しかしロシアでは、あの戦争で戦った人々は、まったく別な意味を持っているようだ。

2022年2月に、ロシアがウクライナの内戦への軍事介入を始めてから、ロシアはちょっと信じられないくらいに国際法を守った攻撃の仕方をするのだということが、よくわかった。戦争といったら、どちらが正義もないのだと、それまで私は思っていた。ところがウクライナでのロシア軍は、本当にウクライナの人々を守るために戦っていたのだ。

もちろん、日本やヨーロッパ、アメリカの傘下の国々では、ロシア軍はウクライナの領土が欲しくて侵攻してきたのだと報道しているから、そうした報道だけ見ている人には、そんなわけがないと思えるだろう。だけど、現地からの報道を見ている人たちなら、このことはよくわかると思う。ロシア軍は、市民を犠牲にしないようにしか、攻撃しないのだ。こんなバカ正直な戦争の仕方をする国があるのかと驚くくらい、見事に国際法を守っていた。つまり、ロシアはまったく「正しい」戦争の仕方をしていたのだ。

そんな現代のロシアで、ソ連のスターリン政権下で行われた戦争にこんな風に敬意を払うなんて、一体どういうことなのかと思ったのだ。それでいろいろ調べているうち、あの戦争はロシアにとって、他の国とはまったく違う意味を持っていたということがわかってきた。

第二次世界大戦は、イギリスもフランスもドイツも日本も、国外の領土をめぐっての戦いだった。いろいろな大義名分がついてはいるけれど、つまるところは植民地争いだったのだ。だから、ほとんどの戦闘は、国の外で行われていた。国外の領土のために、国民が戦争に駆り出されていたわけだから、当然、国民の間に賛否両論がある。それで、政府は戦争プロパガンダを流し、戦争を批判する人々を弾圧するといったことも起こる。

ところがソ連では、ほとんどの戦闘は国内で行われていたのだ。ナチ政権のドイツが攻めてきて、ソ連の市民を虐殺していたから、ソ連軍の兵士たちは、市民を守るために戦っていただけだった。実際、ソ連では第二次世界大戦で最も多くの犠牲者を出し、その多くは市民だったのだ。ここが、他の国とはまったく状況が違う。レニングラードでは長期間の包囲攻撃が行われ、そのために多くの人々が餓死したりもした。人々をそうした犠牲から救い出すために、ソ連軍の兵士たちは戦っていたのだ。そこには、戦争が正しいのかどうなのかといった議論の余地はない。戦うしかないから、戦っていただけだった。

ちょうど2日前の5月7日は、プーチンが新たに大統領に就任した就任式の日で、就任のスピーチで、プーチンはロシアの国民の利益と自由を守るために全力を尽くして、人々に奉仕するということを言っていた。当たり前のことを言っているだけみたいだけれど、プーチンが最初の就任以来、何をしてきたかを知っている人ならば、これがいかなる大仕事なのかは、よくわかると思う。ソ連崩壊後、西側資本に入り込まれて、ボロボロに食い物にされていたロシアを、プーチンは西側資本の腐敗を排除することで、建て直し、経済が国民の利益のためにまわっていくようにしていったのだ。プーチンが言う「国民の利益と自由のために」は、決して空文句ではない。まったく文字通りに、経済の収益が国民の利益になるようにし、人々が他の国に支配されたり操作されたりしないようにして、自由に生きられるようにすることを言っている。彼はまさにそのことを最初の就任以来ずっとやってきたし、これからの任期でもやっていくということを言っていたのだ。

英米のグローバル資本は、開発援助みたいなことを目的に掲げているNGOを送り込んできて、他の国の政府を腐敗させ、税金を自分たちの企業に流れるようにしたり、そればかりか内紛を起こして治安をかき乱したりもする。だから、領土が取られる以前に、国民の利益と自由がこうしたことで奪われていってしまうのだ。そして、こうした介入から「国民の利益と自由」を守るためには、超人的な技と結束した戦いとが必要になる。

ウクライナ紛争も、つまりはアメリカ政府がウクライナを操作して、ロシアと戦争するように誘導していって起こったことだった。だから、これは西側グローバル資本がロシアの主権を奪うために仕掛けたことだったと言える。ソ連が崩壊して、「国民の利益と自由」が西側資本に食い尽くされる状態になったように、ロシアを再び崩壊させてしまおうという計画だったのだ。そのための攻撃は、ありとあらゆる形で行われていて、ロシアは主権と独立を守るために、それと戦っている。

だから、プーチン政権のこれまでのグローバル資本との戦いも、第二次世界大戦のときのソ連の戦いも、つまりは国の主権を守るための戦い、「国民の利益と自由」を文字通りに守るための戦いだったと言える。そこには、戦いが是か非かという問いも、イデオロギーの問題もない。

そこまで見えてきて、ようやく、何故ロシア人たちは今でも、第二次世界大戦のときに戦った人々に敬意と感謝の念を表すのかが理解できる。そして、プーチンの就任式での言葉に、人々が涙を流さんばかりに感動していたこともだ。

今回のウクライナへの軍事介入でも、ロシアは志願兵がとても多いのだそうだ。ドイツ人ジャーナリストのトーマス・レーパーが、よく志願兵の部隊を取材していたけれど、ほとんどの志願兵たちは、人々を守らなければという思いで戦地に来ている。戦争が終わるまでは帰らないと言って、任期が終わってもまた戻ってくる人も多い。

戦争になると、「愛国心」が讃え上げられたり、強制されさえしたりするのが常だけれど、ロシアでは「愛国心」はそれとはまったく違うものなのがわかる。「愛国心」が強要されるのは、その愛国というのが、「国民の利益と自由」を守ってくれる国に対して、自然に湧いてくる愛のことではないからだ。それは実のところ、国民を支配する国家権力に自分から従うというようなことを意味しているにすぎない。そんな「愛国心」は、自然に湧いてくるものではない。騙されるか脅されるかでもしなければ、誰もそんなものを持ちはしないだろう。

ところがロシアには、本物の愛国心というものがあるのだ。それはロシアが、本当に「国民の利益と自由」を守る国、つまり国民に主権がある国だからに他ならない。

この何百年か、世界中で植民地争いが続いてきて、アフリカ、アジア、中南米はほとんどが植民地になり、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどでは、現地人が排除されて、イギリス人たちが白人の国を作った。世界中で、もともと住んでいた人たちが主権を持っている国は、実はほとんど残っていない。ヨーロッパも、外から操作された革命で政権が乗っ取られたり、最近ではNGOを通して操作されたりして、やはり主権が保てている国はほとんどない状態だ。だから、強要されなくても自然に愛国心が湧いてきて、そのために自分から戦地に行こうとするような人がいる国は、世界中でもほとんどないということになる。

ロシアは、世界中でもほとんど唯一、主権を持てている国で、私たちはロシアによって、主権がある国とはどのようなものなのかを知ることができるのだ。だから、ロシアがもし主権をグローバル資本に奪われてしまったら、もはや世界に自由はなくなるだろう。

今まさに、その瀬戸際の戦いが行われているのだけれど、ちょうどそのときに、プーチンが89%の歴史的な得票率で大統領に就任し、ロシアはかつてないほどに結束している。だからこそ、就任式のスピーチに、多くの人が涙を流さんばかりに感動していたのだ。こんな瀬戸際になって、これほどに結束しているからには、ロシアは勝利して、世界に平和と自由をもたらすことになるだろう。

世界中の多くの国、多くの人々は、プーチン政権のロシアとともに、グローバル資本から世界を解放する戦いを戦っているのだ。就任式のスピーチは、世界中のこうした人々にも向けられていたものだったのに違いない。私たちは、ロシアを通して、主権がある国とはどういうものなのかを知り、それを取り戻していくことになるのだと思う。