道ばたや畑の縁に、白く小さな花が揺れている。ヒメジョオン――北アメリカ原産で、今では日本の風景にすっかり溶け込んだ花だ。
派手さはないけれど、いつもそこに咲いている。昔の土地では「貧乏草」と呼ばれることもあったらしい。由来は諸説あるが、地域の人々が親しみを込めてそう呼んでいたのだろう。静かで、誰の目にも止まらず、でも確かにその場にいる――そんな花だ。
午後三時、「花詩」の扉がゆっくり開いた。
「すみません……」
少し声を潜めた男性が、スーツの襟を押さえながら入ってくる。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「いや……花に詳しいわけじゃなくて、でも、どうしても見ておきたくて」
彼の視線は、店奥の小さなバケツに入った白い花へと吸い寄せられる。
「あれ……貧乏草、ですよね?」
恥ずかしそうに呟いた言葉に、萌音は思わずラッピングペーパーを落とす。
高瀬は苦笑して、静かに首を振った。
「ええ、そう呼ぶ地域もあるみたいですが……まあ、ちょっとしたあだ名ですね。道ばたでよく見かける花だから、昔の人が親しみでそう呼んだのかもしれません」
男性の表情が少しほぐれる。
自分の言い方が変だったかと気にしていたのだろう。
「この花はヒメジョオンと言います。花言葉は“素朴で清楚”。控えめだけど、しっかりと存在感のある花です」
男性は小さく頷き、バケツの白に目を落とした。
「これ……もらっていってもいいですか?」
「もちろんです。どうしてヒメジョオンを?」
男性は少し視線を落としたまま言った。
「今日、母から電話があって……父が畑仕事をやめるって聞いたんです。
子どもの頃から、父は毎朝畑へ行くのが当たり前で、そういう姿がずっと家の風景だったんです。
都会に出て、疎遠になっていた今でも、あの“当たり前”は心のどこかにありました。
でも母からその話を聞いた瞬間、父の老いと、時間の流れを急に実感してしまって……」
萌音は作業を止め、静かに男性を見る。
高瀬はゆっくりとうなずいた。
「そうですか……その想いがあれば、きっと父さまも喜ばれるでしょうね」
高瀬はヒメジョオンを一束丁寧に選びながら、言葉を続けた。
「素朴って、本当は強さのことなんです。派手じゃなくても、長く変わらず咲き続ける花――
父さまの姿も、そんなふうに家族のそばにあったのではないでしょうか」
男性の目が潤む。
そう、父は決して特別派手ではない。
でも、家族を支え続けた“当たり前”の毎日こそが、最も素朴で、最も強かった。
「……わかります。父も、そんな人でした」
小さな声が漏れる。
束ねた花を手渡すと、男性はしばらく見つめた後、静かに微笑む。
「父、喜ぶと思います。こういう花、好きだったし……いや、今もきっと」
会計を済ませ、店を出るとき、振り返って一言。
「昔の呼び方で変なこと言ってすみません」
「いえいえ、呼び方にも歴史がありますから。土地の人の暮らしと花への親しみがあってのことです」
穏やかな声に安心した男性は、深く頭を下げて歩き去った。
「高瀬さん……あの人、すごく大事な節目だったんですね」
萌音がそっと言う。
「ええ。花を選ぶときには、人生の節目が重なることがありますから」
「ヒメジョオンの花言葉、素朴で清楚……身に沁みました」
「そうですね。派手じゃないけど、ずっとそこにいてくれる強さがある花です」
高瀬は空になったバケツに水を足しながら、微笑んだ。
道ばたで咲く小さな白い花。
気づかず通り過ぎる人も多いけれど、確かに、誰かの心に寄り添っていた。
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ヒメジョオン(姫女苑)
花言葉:素朴で清楚
飾らなくても、確かな温かさを届ける花。
昔の風景や大切な人を思い出すとき、そっと手元に置いてみてください。