明日は翔子のバースデーライブ!
楽しみですね!
五月五日産まれた日の事を今でもはっきり覚えています。
四日に入院し、なかなか産まれず、
私の血圧が上がりすぎ、帝王切開の準備をしていて、最後にもう一度だけ頑張ろうと、
先生を朝、ゴルフに迎えにきた友人がお腹の上に乗り何回も押して、先生が何度も吸引し、五月五日十一時五十九分翔子誕生!しました。
しかし、一目見ただけで翔子はすぐ別室に、
私は血圧が高くなりすぎたのか幻が見えすぎて、
仕事でいない筈の勝彦さんが横に座っていて
着ていた洋服の柄も帽子もわかり、しばらくは話した事も覚えてました。
そして個人病院だったのでICUがないから
個室で
その時から光も音も面会も全て駄目で絶対安静になりました。
そして翔子が連れてこられ、
危ないからすぐ日赤に運びますと
先生が言ったので
一瞬でいいから会わせてくださいと言って
翔子に小指を差し出したらギュっと握り返してきたので
この子は大丈夫、助かる!と信じました。
日赤の小児科の院長先生が知り合いだったので
全力で翔子を助けてくれました。
一日一回母がきて、私の母乳を冷凍したものを
翔子に届けていました。
他は一切面会禁止でまっ暗な部屋で
診察以外は一人ぼっちで不安でいっぱいでした。
勝彦さんから来た手紙を漏れて来る光の中で何十回も読み返しました。名前の候補を書いた紙が入っていて、
薔子に二重丸がついていたので名前を決めました。
私もかなり入院していましたが
退院してもまだ翔子は入院し
酸素?カプセルに入っていました。
数週間ぶりにガラス越しに対面すると、目が大きく、
手足が長い!子でした。
女の子というより王子様みたいなキリっとした子でした。
元気な姿を見て涙が出ました。
翔子が退院する日は薔薇が満開でした。
お花やさんに頼んで部屋中薔薇だらけにしてもらいました。
後で聞いたら母子共にかなり危険な状態だったそうです。
そんな翔子も33歳!
毎年皆様と生誕祭が出来て
歌えて!
本当に幸せです!
五月一番美しい薔薇の季節🌹
明日ライブに来る人も!来れない人も!
誕生した大切な命!
みんな幸せであります様に❗️