パンツがない!パンツ持って来るの忘れた!
と騒いでいた時に
娘がもさっと起きてきて
私を見るなり
「○○、ほんと周りの人に恵まれてるわ、恵まれすぎてる」
と言ってきました。
「!?」
何を言いだしたかと思いましたが
ここまで自分の辛さが全てで、
周りのことはなかなか考えられなかったように見えましたが、
昨日は何か、人の優しさに触れたのかもしれませんね。
「そうか、恵まれてるか。
それは○○がイイコだからじゃない?」
と私が言うと
「申し訳ないんだよね、みんながいい人すぎて」
と顔を洗ってました。
「模試もさー、あんなに勉強しなかったのに、まぁそこまでひどくもなかったように思えたし、大嫌いな数学も相性の良い問題に当たってさ」
「それはさー、○○にはちゃんと神様がついているからなんだよ」
娘はパンツを履いてない私を見ながら
「最近、自分でも(神様が守ってくれてると)思う」
私がクリスチャンになってからも、
娘もわけもわからず信仰告白してからも
娘はそんなに神様の話を聞きたがらず
あえて避けてるようでした。
母がおかしなこと言ってる
くらいに思ってたはずです。
そりゃそうでしょ。
私自身もついに洗脳されたか!!と思ってましたからねw
でも今、こうして良い人に囲まれていることに気づいたり、
それなりに模試ができたり
何かに感謝したいと思うようになってきたのかな?
主よ、今の状況に感謝します✝️
私は主を崇めます。
クリニックの先生が最初の診察の時に
「食べ物のことばかり考えることが少なくなるように、
病気はあるけど勉強できるように
受験できるようになることを目標にしましょう」
と言われたことを時々思い出します。
最初は病気を完治させてくれないの?
と思いましたが、
0にするのが一番だけど、
病気を認めてそれでも生活していける身体と心をまず作ろう。
この段階がとても尊いことが
今ならなんとなくわかるのです。
食べたり吐いたりする日があっても
眠りこけても
人に感謝できたり
友人と食事したり
模試に向かえる日があるということが
完治とは違う…
何かもっと愛おしい幸せとして
胸が熱くなるのです。
娘はどう思っているのかな。