
タイトル関係ないですが、北海道ツーリング新作作りました。チェックして下さい。
実は、こう見えて少しだけ日本の歴史を学問として勉強していた時期があります。
歴史学って言っても色々あって、すっごく乱暴に分けちゃえば
《考古学》
発掘や現地調査、などのフィールドワークを伴う
《史学》
複数の文献史料を中心に時代を考証する
って感じになります。僕は史学の方でした。
専門は戦前経済史に近い分野でしたが、もともと郷土史にもかなり関心がありました。
とはいえ、郷土史研究をやっていたわけでなく、考古学も殆どやってないため、フィールドワーク的なやり方もわからないです。
つまり、ちょっと歴史好きなおっちゃんくらいのレベルです。
そういう前提で、これからたまーに町歩きなんぞを書こうと思います。
第一回目、板橋です。
皆さんにとって、板橋区ってどんなイメージでしょうか。23区内でも、港区や渋谷区に比べてかなーり地味な区だと思います。。。
僕は、処刑場って印象が大きかったです。
板橋って聞いて一番最初に浮かぶワードです。
ここは新選組局長、近藤勇が斬首された場所です。
1868年(明治元年)、日本では大きな内戦がありました。旧江戸幕府を中心とする旧幕府軍と、薩摩藩・長州藩を中心とする官軍の戦いで、戊辰戦争と呼ばれています。
この戦争の経緯や経過を詳しく書くと異様に長くなるので、興味があれば調べてください笑
新選組は会津藩御預、つまり幕軍として、この戦争に参加しました。
言わずと知れた当時最強クラスの剣客集団でした。近接戦闘の多い京都市街地はそれでも良かった。ただ、戦争となるともはや剣と槍の時代は終わっていて、軍艦や大砲といった兵器を敵に新選組は散り散りになっていきました。
そして、遂に流山で新選組局長・近藤勇が捕縛。
副長・土方歳三らは助命嘆願の為に方々駆け回るも交渉不調、板橋にあった官軍総督府近くに急造の刑場を設けられ、斬首となりました。
現在、板橋駅東口には近藤・土方の碑が建っています。
これは、かつて新選組で二番隊組長を務め、明治時代にも生き残った永倉新八によるものです。
永倉は、戊辰戦争の最中に意見の違いから近藤・土方と袂を分けていましたが、昔からの僚友の死に際して墓碑を建立しました。その傍らには、永倉自らの墓も建っています。
こうした出来事を歴史的にどう読むか、人それぞれ意見が分かれる所ですが、僕はこの墓碑を時代の終わりの象徴と捉えています。すなわち、古来から確立された日本の戦闘方法、(やや拡大解釈気味ではありますが)幕府による専制政治、そうした物が終わり、また新しく始まった。板橋はそういう街だと僕の中では印象付いてます。
奇しくも、僕のこの状況にはぴったりな街だと感じます。
板橋区には、他にも興味深い史跡があります。
江戸時代、板橋は宿場町が設けられていました。
当時、江戸へ通じる街道を五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)と言い、街道奉行という役職のもと幕府の管轄下に置かれていました。有名な大名行列もこの街道を通ってました。
宿場町は、この五街道に沿って並んでおり、字の通り旅人の宿場として栄えました。
この五街道から、江戸へ入る最後の宿場町はそれぞれ江戸四宿と呼ばれており、板橋宿は中山道最後の宿場町でした。(補足 奥州街道・日光街道は共通の宿場町なので、五宿ではなく四宿となっています。)
こういう経緯を普通に考えたら、もっと栄えてても良かったのですが…
ここでは交通史と経済史の観点から考察します。
これは五街道のルートです。
東海道と中山道は、ともに東京〜京都のルートです。甲州街道は最後に中山道と合流します。
つまり、この2つの街道、大枠で捉えればキャラ被りなんです。
それでも江戸時代は、繋ぐ都市が違ったため、ともに往来の多い街道でした。
しかし、明治に入ると江戸時代に比べて欧米との貿易が増えていきます。これにより、横浜や名古屋、神戸などの港町が大きく成長します。
港町は経済的にも重要となり、輸送の整備を図る必要があります。大都市の知事の政治発言力の増大も影響し、1889年には東海道本線が全通。
実は、中山道にも東京〜京都の鉄道計画が、主に軍部を中心に計画されていたようですが…(東海道は海沿い、つまり有事には敵国によって攻撃されやすいため)
都市間を結ぶ輸送網が形成されるとともに、
交通面でも東京〜京都のルートも中山道から東海道へと役割が移譲します。
こうしたことが起因となり、東海道には大都市、中山道には地方都市が並ぶこととなりました。
時代を経るごとに大都市と地方都市は人口や経済に大きく差が開いていき、今に至る…というわけです。
現代という時代は、歴史の積み重ねの結果です。なので、社会的な疑問は全て歴史が解決します。
まぁ、化学や物理的発見に比べて生活貢献的な意味は薄いことが多いかもしれませんが、面白いことだと思いますよ。
気が向いたらまた好きな町のこと調べようと思います。