アメブロに引っ越して一週間、少し慣れてきました。
小さいことですが、仕様で不満に思っていたことが、こっちは改善されているので良い感じ♪
小さいことですが、仕様で不満に思っていたことが、こっちは改善されているので良い感じ♪
気がかりは、前のブログの思い出シリーズが中途半端になっているんですよね。
6件ほどしか書けておらず、まだまだ続きがあるので、こちらでも書いていこうと思います。
思い出シリーズのリンクです。(ちゃんと貼れたかなぁ
)

ADHDを告知したときの様子や、どう変わったかのご質問をいただきましたので
思い出シリーズとして、記事にさせていただきます。
当時の私は『告知』という概念すらありませんでした。
言わない選択肢が頭になく、小1の夏休み明けくらいに
「ADHDって診断が出たよ」と普通に言いました。
「ADHDって診断が出たよ」と普通に言いました。
私の心の中は(これからどうしたら・・・?)っていうので
グチャグチャでしたが、極めて冷静を装って言いました。
グチャグチャでしたが、極めて冷静を装って言いました。
ADHDをマイナスに受け取らないようには気を使いました。
「ADHDは世界を変えるほど、すごい能力を秘めているんだよ!」
エジソンや坂本竜馬の本を買って、寝る前に読み聞かせたりしました。
その時の長男は、
「そうか!そんなに凄いのか!凄い人と一緒なんだね!」
という反応だったんですが・・・
「そうか!そんなに凄いのか!凄い人と一緒なんだね!」
という反応だったんですが・・・
小5くらいになると、都合良く、やりたくないことを
「俺はADHDだもーーーん」と開き直って拒否することがありました。
「俺はADHDだもーーーん」と開き直って拒否することがありました。
または、本棚のADHD解説本を自分で読むこともありました。
で、現在受け入れているのか受けれいれてないのかは、微妙です。
ただ人に知られたくないという思いは異常に強いです。
小1の1学期、問題行動が続き「支援級へ行く?」と聞いたことがありました。
そこで、長男は激しい拒絶反応を起こしました。
支援級には、自閉と知的障害を合併しているU君という男児がいたのですが、
その子に対する他の子達の扱いを差別的に感じていたようで、
「今まで一緒に遊んでた友達が遊んでくれなくなる!
もし支援級に行くなら学校は行かない!」と言って大泣きしました。
実際のところ、U君は支援級だから…ではなく、
暴力的だったために、遊ぶ子がいなかったのですが、
長男は周りが全く見えてないので(支援級だから)と思い込んでいました。
暴力的だったために、遊ぶ子がいなかったのですが、
長男は周りが全く見えてないので(支援級だから)と思い込んでいました。
学校でも話し合いの場を何度も持ってもらっていて、
校長、担任、学年主任、あるときはスクールサポーターだったのかな?
専門の方に来ていただいて、様々な相談をさせてもらいましたが、
その時に、私が『支援級』という言葉を口に出したとき、
その場にいた全員がフッと笑ったのです。
極端なことを言って・・・というように感じられましたし、
「まぁまぁお母さん!」という対応で流されました。
長男の学校には通級教室がなく、私は存在すら知りませんでしたし、
当時は『特別支援教育』が改正される前でADHDは対象に含まれていませんでした。
当時は『特別支援教育』が改正される前でADHDは対象に含まれていませんでした。
その後、支援級や通級制度を利用しないまま、今に至ります。
学年が上がる前になると、長男は必ず
学年が上がる前になると、長男は必ず
新しい担任にもADHDであることを言わないでほしいと
強くお願いしてきました。でも当然言っちゃいますけどね。
で、告知してから何か変わったか・・・
何も変わったことはないと思います。
というのも、長男を15年育ててきて思うのは、
自分を見つめたり、心の葛藤が少ないな、ということ。
自分を見つめたり、心の葛藤が少ないな、ということ。
極めてシンプルな頭の中です。
・楽しいことは絶対やりたい!
・嫌なことは考えたくないし、やりたくない!
自分は他の子となぜ違うんだろう?とか、
何事においても深く思い詰めるような姿が見られません。
何事においても深く思い詰めるような姿が見られません。
葛藤はこれからかな?と思っています。
次男は・・・
次男は・・・
まもなく次男の発達検査の結果が出ますが、もしADHDと診断されても、
まだ理解できる年齢ではないのもありますが、告知は慎重にせざる得ないです。
次男は悩むタイプです。どうでもいいことでもクヨクヨします。
病院に相談しながら・・・になるのでしょうかね。
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