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〇表紙・グラビア 踊り子 東雲(しののめ)大夫 花魁衣装5キロ、かつら1.5キロ、しめて8万円。お師匠さんについている。一応名取、好きな菅原文太を思い浮かべて汗だくの艶技。

 

〇ストリッパー名鑑

①    南志保 突き出た口もとに特徴、舞妓姿が売り物。九州のみ巡演。B80,W58,H85

②    渚リカ 業界トップクラスのグラマーしかし九州のみ巡演は惜しい。B90,W60,H92

③    グレーポール フィリピン人、東京、九州で人気。B82,W52,H82

④    寿あづさ ぽっちゃり美人で博多の産、芸者、若衆姿が十八番。関西中心。B85,W58,H89

⑤    ジェーン・ナミ 声か細く、純情、現在洋舞だが、今後芸域を拡げていきたい。関西中心に活躍中。B84,W55,H83

⑥    水月ユキ 名ストリッパー水月千草の長女、水月ショーのチームリーダー。全国区の人気、関西では主に島田興行系の劇場でトリをとる。お姐さんとしても多くの踊り子から慕われている。B83,W53,H85

 

〇グラインドの女王 ジプシー・ローズ出現 ストリップの歴史③ 伊丹辰巳

 

〇女はすべて巾着になる・・・バナナを女性自身に挿入し、皮つきのまま包丁で切ったように真二つに分断する。ご存知花電車の秘芸の一つだが、その踊り子がいうには、先天性の巾着は少ないと思う、自分は失敗続きでバナナの山を築いたが、練習次第で誰でも実をつぶさないでも切れるようになる。夫婦円満、恋人との絆を深めるためにも是非お勧めしたいといっている。

 

〇一条さゆりグラビア、前半は映画のスチール、後半は一条さゆりをしのぶ当社の秘蔵写真。

「しばらくして彼女は指をはなした。すると花弁はゆるゆるとひとりでに閉じられていったが、そのとき、閉じられかかった花弁のあいだから、花筒の奥深くから、一条の流れがするすると流れ出してきたのである。私は息がつまった。激しい感動にうたれたというよりほかない。流れは糸を引くように内股へつたわり、しばらくのあいだは、つづいて流れ出す泉が、その小川を流れつづけていくのが見えた。」―駒田信二著 一条さゆりの性

 

〇ストリップ用語辞典

パチンコ・・・フィナーレの前に踊り子全員がズンドコ節のような威勢のよい曲をバックに特出しを披露するパーフォーマンスショー。舞台一面がアナだらけになることから、この名が付いた。

ネコ・タチ・・・レスビアンショーの男役をタチ、女役をネコという。普通体の大きい方がタチをやるが、たまにその逆のカマキリコンビもある。

 

〇足のふるえが止まらなかった初舞台・・・ストリップ歴2ヶ月のローレン・ユキ、前職は美容師9年のキャリア、初舞台は熊本玉名温泉の劇場、コンビは9年のキャリアを持つローレン・マヤ。キャリアの違いから止むをえず、カマキリコンビになったようだ。キャリアを積んでタチ役をマスターするつもりである。小柄のローレン・マヤは元々がアクロバットからスタートした踊り子。見よう見真似で芸を覚えた。寝静まった後の舞台で練習したり、茶わんに3杯の酢を飲んだりしたこともあった。できるようになってからでも、1年くらいは舞台で失敗をやった。

 

〇舞台と私生活で逆転するSとM・・・ローズ秋山夫妻は楽屋では舞台と逆の関係にある、と一ストリッパーの立場で述べた記事。

 

〇劇場スポット<北九州編>

関西ショー劇場、柳がゆれる中洲春吉橋そばの同劇場には水月ショーが残酷ショーを行っていた。元々北九州の出身なので故郷に錦を飾ったようなものである。

久留米国際劇場、この劇場もならったものか柳ゆれる川のほとりにある。ここでも関西でお馴染みのジェリー浜村と遭遇し記者はご満悦である。

 

<この号の取材の中心は九州であり、「全国ストリップ劇場ガイド」の項目は飛躍的に充実したことでも判る。全国を回る踊り子と地元九州のみを専門とする踊り子の割合は7対3とある。私の地元新潟も事情は似たようなものだった。しかし割合は九州とは逆で裏日本専門のドサ回りの踊り子が大半だった。極々まれなのだが、ドサ専門でも吃驚するような美女に遭遇することもあった。空振りが大半なのだが、その点九州のファンは恵まれていると思った。九州には昔から剣劇や旅回りの一座が多くある芸どころである。これらの劇団で修業しストリッパーになったものは多い。この時代は元劇団出身者ばかりではなく、踊り子の多くは九州出身者で占められているといわれた。記者も久留米国際劇場で、当時も活躍中であった大島剣之介一座出身の島千景の艶技に酔い痴れる一幕もあった。九州で人気の剣劇一座を思い浮かべるとすると、樋口次郎に行き当たる。この人物は中々波乱の人生を歩んでいるようだ。「漂泊の思想」 野坂昭如 S.50.3.11には次の様に書いてある→この道35年の大ベテラン旅役者、もとは九州のやくざで、前科3犯。昭和6年に刑務所を出て、出所祝いの席上、親分からコロシを委嘱。相手の片腕だけ切り落し、自分の指をつめ、盃をかえした上で刑務所に8ヶ月服役、でるとそのまま当時全盛の旅役者一座に加入、芸者のパトロンができて、250円をもとでに自分の劇団をもつ。(九州東京間8円の時代)←

レスビアンの女王桐かおるがこの親分に、いや座長の劇団に入座したのは戦後間もなくの頃である。その後劇団の先輩である千原みどりに従ってストリッパーの道へ・・・。樋口次郎と千原みどりはどのような経緯で袂を分かつようになったのかよく判らない。或はこのような表現は不適切で樋口は剣劇、千原はストリップと別動隊のような役を担ったのかもしれない。このようにいう根拠は樋口次郎はその後、剣劇一筋ばかりではなく、ストリップ興行にも手を染めているからである。ヌードインテリジェンス通巻22号(S.44.12.1)には浅草の木馬ミュージックは吉田興行から樋口興行(樋口次郎)に変わり、最近閉館した、とある。ストリップの周辺をさぐっていると、面白いことが多い。剣劇ついでに、瀬川信子一座を思い出した。漫才の鳳啓助と京唄子はこの劇団で結ばれた。鳳啓助はこの一座の雑用一切を担っていた。役に穴があくときは役者にも早変わりする。京唄子を女優から漫才の道に引き入れたのは鳳啓助である。舞台の役割とは反対に鳳啓助が師匠格である。そして台本も書く。面食いで有名な京唄子が惚れたのは鳳啓助の才能のようだ。この瀬川信子一座をあるコメディアンがストリップ剣劇といった。瀬川信子は大阪公演のときは朝日劇場に出演する。これから行くと一流劇団である。まさかハダカにはならないと思われる。浅香光代が一時期「ストリップ剣劇」と呼ばれた。浅香は黒いパンツをはいて舞台に出る。裾が割れる場面になると、黒い部分がチラリと見える。場内は「見えたヨ」と騒然とした雰囲気になる。もちろんそれは計算ずくなのだ。諸肌脱ぎの場面でも胸はサラシで隠している。お色気部分をふんだんに盛った内容をこのように呼んだのであろう。瀬川信子も然りで、女が剣をもっても最後の売り物はお色気ということになるのである。>(この号終わり)