東の高岡興行と西の島田興行の共通点はサーカス業者あがりである。
京浜ミュージックは高岡興行の旗艦劇場である。オンボロな建物だが、日本でトップクラスの観客動員数があった。私が足繁く通ったのは昭和49年ごろであるが、その頃劇場の横にはいつも巨大なアメ車が駐車していた。ある日お気に入りの踊り子の舞台を観ての帰り、アメ車の横を通り過ぎた時のことである。突然ドアが開き、中から女の声で今観てきたばかりの踊り子の名を呼ぶ声がした。すると、その声と同時に何人かの踊り子が小走りに車の中に入ってきた。あとには轟然とした爆音が残った。あとでその時のことを踊り子に聞いたことがある。劇場主の驕りかなにかで、レストランあたりに食事にでもいったのかとも思ったのであるが、国会議員の余興のアルバイトに行ったと、いうのであった。
オーナーの高岡は性的交際が多忙の人物で身内でも現在の居場所が掴めないほどだった。それもそのはず延べではあるが劇場の所有は十指ちかくにもなる。この旗艦劇場の他に港ミュージック、生麦富士ミュージック、川崎OS、池袋ミカド劇場、新宿ミカサ劇場、新宿OS、渋谷OSとどの劇場も営業成績は良好で使いきれないほどの金が入ってくるのである。
京浜ミュージックの社長はTという女性であり、高岡の愛人の一人だった。そんな高岡に愛想をつかし、Tはホストと一緒にハワイへと逐電した。
京浜ミュージックの前身は映画館だと思っていた。意外なことに電気店だった。しかし電気店にも色々ある。この建物からして電気工事店に近いものかと思った。それもケーブルなど電材を置く倉庫などを想像した。昔の建物は今と違い気密性など考慮に入れない。昼の11時から夜の11時までの12時間精一杯のボリュームでダンス音楽を流し続けた。周囲の迷惑はいかほどのものだったであろうか。
現在跡地には新しいビルが建ち、京浜ミュージックがあった角地には居酒屋が入っている。場所はエロ映画専門館の光音座の裏通りにある。そこからは横浜ロック座の臙脂色のビルが見える。


